※画像はイメージです。能島城
Noshima Castle
能島城は室町時代築城、天正16年(1588年)廃城に築かれた四国の名城。城主は能島村上氏(村上雅房・村上武吉ら)(Noshima Murakami clan (Murakami Masafusa, Murakami Takeyoshi))。
概要
概要
能島城は、愛媛県今治市宮窪町の芸予諸島に浮かぶ能島に築かれた海城(水軍城)である。大島と鵜島の間にある周囲約1キロメートルの能島と、その南に接する鯛崎島を城域とし、「日本最大の海賊」とも称された三島村上水軍のひとつ、能島村上氏の本拠として知られる。1953年(昭和28年)に「能島城跡」として国の史跡に指定された、海城としては唯一の国指定史跡であり、2017年(平成29年)には続日本100名城(178番)にも選定された。
築城と能島村上氏
能島城は室町時代に能島村上氏によって築かれ、村上雅房らの手で整備されたと伝わる。能島村上氏は来島・因島の両村上氏とともに芸予諸島の海上交通を掌握し、通行料の徴収や水先案内、海上警固を担った。戦国期には村上武吉が当主として活躍し、毛利氏と結んで瀬戸内海の制海権をめぐる戦いで重要な役割を果たした。
構造
能島の周囲は潮の流れが速く複雑で、天然の要害を成している。島全体を城郭化し、本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配した。島の岸辺には桟橋跡とみられる柱穴(ピット)が約460個確認されており、多数の軍船を係留し運用した水軍拠点であったことを物語る。
武具・水軍との関わり
能島村上氏は焙烙火矢などを用いた水軍戦術に長けた武装集団であり、瀬戸内の海上勢力として大名間の抗争に深く関与した。城そのものが軍船の停泊と出撃を前提に設計されており、刀槍を帯びた水軍衆の活動を支える海の要塞であった。
現状
天正16年(1588年)、豊臣秀吉の海賊停止令により村上水軍はその歴史的役割を終え、能島城も廃城となった。以後、島は長く無人であったため城塞遺構は良好に保存されている。能島への定期船はなく、土曜・日曜・祝日のみ予約制で上陸見学や周辺の潮流クルーズが催行されており、隣接する今治市村上海賊ミュージアムとあわせて水軍の歴史を伝えている。
刀剣との関わり
能島村上氏は刀槍・弓・火器で武装した瀬戸内水軍衆であり、海上戦を担う武装集団の拠点であった。
見どころ
- 海城で唯一の国指定史跡
- 村上水軍(能島村上氏)の本拠
- 約460個の桟橋跡ピット
- 続日本100名城(178番)
- 潮流の天然要害
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。