※画像はイメージです。佐川城
Sakawa Castle
佐川城は天正元年(1573年)頃築城、元和の一国一城令(1615年頃)により廃城に築かれた四国の名城。城主は深尾氏(Fukao Clan)。
概要
築城の背景
佐川城は高知県高岡郡佐川町、標高200.7メートルの古城山に築かれた山城である。築城年代は天正元年(1573年)頃と伝わる。長宗我部元親に降った松尾城主・中村越前守信義に代わり、元親の重臣・久武内蔵助が松尾城主となったが、城内の水不足を嫌い、向かいの山に新たに城を築いたのが佐川城の起こりとされる。
城主変遷
久武内蔵助の後、関ヶ原の合戦で長宗我部氏が改易されると、山内一豊が土佐に入国した。一豊の重臣・深尾和泉守重良が一万石を賜って佐川城主となり、以後この地は深尾氏の所領として続いた。重良は土岐氏、織田信忠、織田信孝、溝口秀勝と主君を転々とした後、天正13年(1585年)に山内一豊が近江長浜3万石の領主となった際に招かれ、200人扶持を受ける客分として仕えた。一豊が遠江掛川領主となると3千石を得、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、一豊に従って土佐へ入部した際に佐川一万石を給わり、土佐藩首席家老の地位に就いた。
佐川における統治
重良は寛永7年(1630年)に養子・深尾重昌へ家督を譲るまで約30年間にわたり佐川領を統治し、この間、江戸城修築、名古屋城築城、大坂の陣といった藩の重要事案にも対応した。隠居後は隠居料二千石を受けて高知に住み、寛永9年(1632年)に没している。
構造・特徴
本丸は古城山の山頂部に置かれ、城域は広く、北山麓にある青源寺を囲むように東西に伸びた尾根に曲輪が展開する構造を持つ。
廃城とその後
元和の一国一城令により佐川城は廃城となったが、深尾氏は東麓に土居屋敷を構え、以後明治維新に至るまでこの地を治め続けた。深尾氏の菩提寺は青源寺であり、歴代当主の墓所が置かれている。土佐藩筆頭家老を務めた深尾氏の城下町として、佐川町には江戸期から続く造り酒屋の酒蔵や旧商家が残り、独自の町並みを今に伝えている。
現状
現在、佐川城跡の山腹部は「牧野公園」として整備されている。この公園は植物分類学者・牧野富太郎博士の縁でソメイヨシノが植えられたことに始まり、桜の名所として知られる。山頂の主郭跡へは公園から登ることができ、往時の縄張りの一部を辿ることができる。
刀剣との関わり
見どころ
- 久武内蔵助による築城(松尾城の水不足が契機)
- 山内家重臣・深尾氏一万石の居城
- 青源寺を囲む東西の曲輪群
- 現在は牧野公園(牧野富太郎博士ゆかりの桜の名所)
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。