※画像はイメージです。須崎城
Susaki Castle
須崎城は築城年代不明(戦国期、姫野々城主・津野氏一族による築城と伝わる)に築かれた四国の名城。城主は津野氏(Tsuno Clan)。
概要
築城の背景
須崎城は高知県須崎市、須崎港の西側にそびえる城山に築かれた山城である。築城年代は明確ではないが、姫野々城を本拠とした津野氏の一族によって築かれたと伝えられ、津野氏の支城のひとつであったと考えられている。津野氏は藤原北家基経流の後裔とされ、家祖・津野経高が延喜13年(913年)に土佐国高岡郡に入り、津野山を開拓して名字を津野に改めたと伝わる一族である。以来、高岡郡中西部の津野荘や山間部の津野新荘・檮原荘を拠点に地頭として中世を通じて発展し、後世「土佐七雄」の一つに数えられた。
城主変遷
須崎城の歴代城主については確たる記録が乏しく、「定かではない」というのが実情である。戦国末期、津野氏当主・津野定勝は長宗我部元親から降伏の勧告を受けたがこれを拒み、恭順を望んだ家臣により伊予へ追放された。跡を継いだ子・津野勝興も当初は元親に対抗したが、のちに降伏し、元親の三男・親忠を養子に迎えた。勝興は天正6年(1578年)に没している。須崎城の山麓には、この津野親忠および家老・山内右衛門大夫の屋敷跡と伝わる地が残ることから、親忠がこの地を居城とし、須崎港を介して浦戸城の長宗我部元親と連携していたと推定されているが、確証はない。
構造・特徴
須崎城は須崎港西方の城山に築かれ、三角点のある南の峰と、主郭を置く北の峰の二峰から構成される。北の峰山頂部には円形に土塁を巡らせた主郭があり、その周囲を二の段が取り巻く。西尾根には防御を強化するための二重堀切が設けられているほか、山中には複数の削平地と堀切が確認でき、山城としての防御構造が随所に残る。
現状
現在、城跡一帯は「城山公園」として整備され、石鎚神社の脇を経由して山頂の主郭跡まで登ることができる。ただし整備は限定的で、山道は所どころ分かりづらくなっている箇所もある。須崎市街と須崎港を一望できる立地から、地域の歴史散策地として親しまれている。
刀剣との関わり
見どころ
- 津野氏の支城と伝わる山城
- 津野親忠・山内右衛門大夫の屋敷跡伝承地
- 南北二峰構成、二重堀切等の遺構
- 現在は城山公園として整備
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。