※画像はイメージです。河後森城
Kagomori Castle
河後森城は建久7年(1196年)築城と伝わる、元和元年(1615年)廃城に築かれた四国の名城。城主は渡辺氏、芝氏、戸田勝隆、藤堂高虎、桑折氏(伊達秀宗付家老)(The Watanabe clan; the Shiba clan; Toda Katsutaka; Tōdō Takatora; the Kori clan (chief retainers assigned to Date Munemune))。
概要
概要
河後森城は、愛媛県北宇和郡松野町松丸にあった山城で、四万十川の支流・広見川とその支流である堀切川・鰯川の三方を川に囲まれた馬蹄形の独立丘陵上に築かれた。中世山城の全体像を良好に伝える遺構として国の史跡に指定され、続日本100名城の一つにも選ばれている。
築城と渡辺氏
築城は建久7年(1196年)、渡辺氏によるものと伝わる。渡辺氏は「川原淵殿」と呼ばれ、代々この城を居城とした。
城主の変遷
天正8〜9年(1580〜1581年)頃、渡辺氏に代わって城を治めていた芝氏の芝政景が長宗我部氏に寝返り、城を掌握した。豊臣政権下では戸田勝隆が芝氏を放逐してこの地を治め、その後藤堂高虎の統治を経て、慶長19年(1614年)に伊達秀宗が宇和島藩を立藩すると、その付家老・桑折景頼が入城した。
構造
本郭を中心に、西側に西第二から西第十までの曲輪群、東側に東第二から東第四および古城第一から第四までの曲輪群、南側に新城の曲輪群が配置され、古城・本城・新城が馬蹄形に連なる縄張りを持つ。発掘調査では掘立柱建物跡が複数の曲輪で確認されており、調査成果を踏まえて城内に門や建物が復元されている。
廃城
元和元年(1615年)、江戸幕府が発した一国一城令により廃城となった。
指定文化財と現状
平成9年(1997年)9月11日、国の史跡に指定された。平成29年(2017年)4月6日には続日本100名城(179番)に選定されている。現在は登山道や復元建物が整備され、出土遺物の一部は町内の施設で見ることができる。
アクセス
JR予土線「松丸駅」から徒歩約30分。松山自動車道三間インターチェンジから車で約15キロメートル、風呂ヶ谷駐車場から登城可能。
刀剣との関わり
見どころ
- 広見川・堀切川・鰯川の三方を川に囲まれた馬蹄形の独立丘陵に築かれた山城
- 建久7年(1196年)築城と伝わる渡辺氏(川原淵殿)の居城
- 長宗我部氏・戸田勝隆・藤堂高虎を経て、宇和島藩付家老・桑折氏が入城
- 古城・本城・新城が馬蹄形に連なる縄張りで、発掘成果に基づき門や建物を復元
- 国指定史跡かつ続日本100名城(179番)
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。