※画像はイメージです。井上源三郎
Inoue Genzaburo
新選組六番隊組長——試衛館以来の古参にして組織の屋台骨を支えた実直な幹部、鳥羽・伏見で壮烈な最期を遂げた
解説
試衛館の古参剣士
文政十二年(一八二九年)生まれの井上源三郎は、近藤勇・土方歳三が率いた天然理心流道場・試衛館の古参門人の一人である。天保末期から嘉永・安政年間にかけて試衛館で剣術を磨き、近藤勇の養父・近藤周斎(三代目)の弟子として入門した。試衛館グループの中では年長の一人であり、経験豊かな実力者として重んじられた。
新選組六番隊組長
文久三年(一八六三年)の浪士組上洛に参加し、新選組の結成後に六番隊組長に任ぜられた。源三郎は華やかな逸話は少ないが、組織の安定に欠かせない実務的な幹部として機能した。近藤勇や土方歳三のような個性的なリーダーシップとは異なり、黙々と任務を遂行する誠実な性格が同僚から信頼を得ていたとされる。
天然理心流と愛刀
天然理心流の剣士として、源三郎は試衛館で鍛えた実戦的剣技を武器に数々の任務に従事した。愛刀に関する具体的な史料は乏しいが、天然理心流の剣士として近藤勇の「長曽祢虎徹」や土方歳三の「和泉守兼定」と同様に実戦向きの刀を好んだとみられる。幕末に新選組の剣士たちの間で広く使われた「大和守安定」を愛用した可能性もある。
鳥羽・伏見の戦いでの戦死
慶応四年(一八六八年)一月の鳥羽・伏見の戦いにおいて、源三郎は最前線で戦い戦死した。享年四十。試衛館以来の古参として、新選組の結成から戊辰戦争の開幕まで一貫して組織を支え続けた源三郎の死は、幕府側にとって痛手であった。派手な逸話こそないが、組織の根幹を支えた堅実な武人として、源三郎は新選組史における重要な存在である。
所持した刀剣
- 佩刀(詳細不明。天然理心流の剣士として実戦向きの刀を帯びていたとみられるが、具体的な刀工名や銘の記録は残っていない。大和守安定など新選組で広く使われた刀を愛用した可能性がある)