※画像はイメージです。膝丸
Hizamaru
別名: 薄緑・蜘蛛切・吼丸・源氏の守り刀・四つの名を持つ太刀・義経佩刀
解説
概要
膝丸(ひざまる)は、清和源氏に代々伝えられたと伝承される「源氏の重宝」の太刀で、兄弟刀とされる「髭切(ひげきり)」と対をなす名剣である。現在は京都・嵯峨の旧嵯峨御所大覚寺が所蔵する「太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)」がこれにあたるとされ、国の重要文化財に指定されている。付属する『薄緑太刀伝来』の記には、清和源氏の祖・源経基の嫡男である源満仲が勅命により天下守護の太刀を求め、異国から渡来した刀工が八幡神の加護を得て鍛え上げたと伝えられ、満仲が「髭切」「膝丸」の二振りを所持したと記される。〔満仲作刀の由緒は物語的な伝承であり、大覚寺蔵の太刀の制作年代・作者は学術的に確定していない〕
作風と特徴
大覚寺が所蔵する薄緑(膝丸)は鎬造りの太刀で、茎には「忠」の字を含む銘(□忠)を残す。兄弟刀の髭切が北野天満宮蔵の「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)」として伯耆の刀工・安綱の作と伝えられるのに対し、膝丸もまた古雅な太刀姿を備え、平安から鎌倉にかけての古い太刀の風格をたたえる。〔地鉄・刃文などの詳細な鑑定所見は資料により異同があり要確認〕。源氏累代の重宝という伝承にふさわしい品格を宿した一振りである。
指定・所蔵
「太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)」は、重要文化財として大覚寺に所蔵されている。長く寺宝として守られてきたが、近年は特別展での公開も行われており、令和7年(2025年)1月から3月にかけて東京国立博物館で開催された特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」では、兄弟刀の髭切(北野天満宮蔵)とともに、京都以外では初めて同一ケースに並べて展示され、大きな話題を呼んだ。
逸話・伝来
膝丸は、源氏の武運を担った霊剣として、持ち主が代わるたびに「蜘蛛切(くもきり)」「吼丸(ほえまる)」「薄緑(うすみどり)」と名を改めたと伝えられ、四つの号それぞれに退魔・武勇の物語をまとう。兄弟刀の髭切もまた、頼光四天王の一人・渡辺綱が一条戻橋(または羅生門)で鬼の腕を斬り落としたという伝説から「鬼切(鬼切丸)」の名を得ており、二振りは源氏累代の重宝として並び称されてきた。これらは軍記物語や社寺の縁起に彩られた伝承であり、史実として確定するものではない。膝丸(薄緑)は源家の手を離れた後、時代を経て嵯峨の大覚寺に伝わり、寺宝として今日まで守られている。〔源氏の手を離れてから大覚寺に納まるまでの具体的な伝来経緯には不明な点が多い〕。近年は刀剣を題材とする作品を通じて兄弟刀への関心が高まり、令和7年(2025年)に東京国立博物館で髭切とともに同時展示された際には、多くの刀剣ファンが訪れた。
逸話・伝説
## 伝説と逸話 膝丸の四つの名は、源氏の歴史そのものを映す鏡である。最初の名「膝丸」は、源満仲が新たに鍛えさせた太刀の切れ味を試すため罪人の処刑に用いた際、膝を骨ごと容易く斬断したことに由来する。この残酷な起源は、武家の道具としての日本刀の本質を端的に示している。第二の名「蜘蛛切(くもきり)」は、源頼光の土蜘蛛退治にまつわる。頼光が病に伏していたある夜、枕元に巨大な蜘蛛の怪物(土蜘蛛)が現れた。頼光は枕元に置いていた膝丸を手に取り、蜘蛛に斬りかかった。傷を負った蜘蛛は逃走し、頼光は家臣の渡辺綱に追跡を命じた。綱が血の跡を辿ると、北野の塚の中に巨大な蜘蛛が潜んでいた。これを討ち取ると、頼光の病はたちまち快癒した。この退魔の武功から、膝丸は「蜘蛛切」と呼ばれるようになった。第三の名「吼丸(ほえまる)」は、不可思議な現象に由来する。ある夜、誰もいない部屋に安置されていた太刀が突然、獣が吠えるような音を立てて鳴り響いたという。自ら声を発する刀——この怪異は、膝丸に宿る霊力が主を求めて咆哮しているのだと解釈され、「吼丸」の名が与えられた。そして第四の名「薄緑(うすみどり)」。治承四年(1180年)、源平の争乱が始まると、源義経は兄・頼朝のもとへ馳せ参じる途上でこの太刀を手に入れたとされる。義経はこの太刀に「薄緑」という雅やかな名を与え、以後の源平合戦における義経の佩刀となった。一ノ谷の戦い(1184年)の鵯越の逆落とし、屋島の戦い(1185年)の奇襲、そして壇ノ浦の戦い(1185年)で平家を滅亡に追い込むまで、薄緑は義経とともに戦場を駆け抜けた。源義経は日本史上最も人気の高い悲劇の英雄の一人であり、その義経の佩刀としての「薄緑」の名は、膝丸の四つの号の中でも最もロマンチックで広く知られている。膝丸から蜘蛛切へ、吼丸へ、そして薄緑へ——名を変えるたびに新たな伝説を纏い、源氏の歴史とともに生き続けたこの太刀は、日本刀が単なる物質ではなく「物語る存在」であることの最も美しい証左である。