※画像はイメージです。山吹城
Yamabuki Castle
山吹城は鎌倉末期〜南北朝初期に原型があったと推測、1601年頃に廃城に築かれた中国の名城。城主は大内氏、尼子氏、毛利氏、のち徳川幕府(大久保長安)(The Ōuchi, Amago and Mōri clans; later the Tokugawa shogunate (Ōkubo Nagayasu))。
概要
概要
山吹城は、石見国(現在の島根県大田市大森町)にあった山城である。標高414m、比高約200mの要害山に築かれ、石見銀山を守る城であった。城跡は国の史跡「石見銀山遺跡」の一部であり、2007年の世界遺産登録の構成資産にも含まれる。
築城
延慶年間(1309年以降)に大内氏が築いたと伝えられるが、築城者や年代は資料によって食い違い、正確な築城年は不明である。鎌倉末期から南北朝初期には原型となる施設があったと推測されている。
銀山をめぐる争奪
石見銀山は大内氏、尼子氏、毛利氏の間で争奪の対象となった。1530年に石見の国人小笠原長隆が銀山を奪ったが、1533年に大内氏が奪回して防備を強化した。1537年には尼子経久が銀山を占領し、以後大内氏と尼子氏の争奪戦が続いた。その後、毛利氏の勢力下に入り、1562年に尼子方の本城常光が降伏したのち毛利元就が常光を暗殺し、吉川元春の家臣が置かれた。
徳川幕府と廃城
1600年の関ヶ原の戦いののち、銀山は幕府領となり大久保長安が入った。長安は城を改修して吹屋(銀精錬所)を置いたが、翌年に拠点を大森代官所に移したため、城は1601年頃に廃城となった。
構造
山頂付近に南北約52m、東西約32mの主郭があり、19本以上が確認されている畝状竪堀群、土塁、空堀、石垣で防御していた。石垣は大森の集落に面した主郭北側のみにあり、集落側に見せる構築物だったと考えられている。天守はない。
現状
空堀、土塁、井戸、石垣などの遺構が残る。麓の西本寺の山門は大手門を移築したものとされることがあるが、大田市は江戸時代初期の建造物として扱っており、城の遺構とは区別されている。
刀剣との関わり
特定の刀剣との結びつきを示す典拠は確認できていない。銀山の争奪をめぐる戦国の攻防の舞台となった城である。
見どころ
- 石見銀山を守るために要害山に築かれた山城
- 大内氏・尼子氏・毛利氏が銀山とともに争奪した
- 19本以上の畝状竪堀群が確認されている
- 1601年頃に廃城、大久保長安が大森代官所に拠点を移した
- 石見銀山遺跡の一部で世界遺産の構成資産
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。