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名将たちが愛した刀剣とその物語
名城に秘められた刀剣文化の物語
歴史に名を刻んだ名刀たち
120 entries
Hosokawa Gracia
明智光秀の娘にして細川忠興の妻——信仰のため自刃できず薙刀に貫かれた悲劇のキリシタン
## 明智光秀の娘・玉 細川ガラシャ(一五六三〜一六〇〇)は、明智光秀の娘として生まれた(生誕地は越前とも伝わるが諸説ある)。実名は「玉(珠)」と伝わる。天正六年(一五七八)、織田信長の意向により細川...
Ukita Hideie
関ヶ原西軍の総大将——豊臣の寵臣として栄華を極め、八丈島の流人として生き延びた悲劇の大老
## 豊臣の寵愛を一身に受けた大名 元亀三年(一五七二年)に生まれた宇喜多秀家は、備前・美作・播磨を中心とする五十七万四千石という西国随一の大藩を率いた豊臣政権の大老のひとりである。父・宇喜多直家の死...
Tokugawa Iemitsu
江戸幕府を盤石にした三代将軍・武家諸法度と参勤交代の確立者
徳川家光(1604-1651)は、江戸幕府第三代将軍であり、「生まれながらの将軍」として幕府の支配体制を盤石なものとした。父・秀忠の後を継ぎ、1623年に将軍職を継承。武家諸法度を厳格化し、参勤交代制...
Okada Izō
幕末四大人斬り・土佐勤皇党の剣客
岡田以蔵(1838-1865)は、幕末の動乱期に土佐国(現在の高知県)から上京した剣客であり、「人斬り以蔵」の異名で知られる幕末四大人斬りの一人である。武市半平太(瑞山)が組織した土佐勤皇党に属し、尊...
Nakaoka Shintarō
陸援隊隊長・薩長土三藩連合の架け橋
中岡慎太郎(1838-1867)は、幕末の志士であり、薩長同盟の成立に奔走した土佐藩出身の志士である。坂本龍馬とともに幕末志士の双璧と称され、「陸の中岡・海の龍馬」と呼ばれた。近江屋事件(1867年)...
Kikkawa Motoharu
毛利の右腕——生涯不敗の猛将、西国最強の武将が体現した武人の矜持
## 不敗の将の誕生 享禄三年(一五三〇年)、毛利元就の次男として生まれた吉川元春は、兄・隆元、弟・小早川隆景とともに「毛利の三本の矢」を構成し、毛利氏の中国地方制覇を軍事面で支えた最大の功労者である...
Asano Naganori
忠臣蔵の発端・赤穂藩主として松の廊下で刃傷に及んだ悲劇の大名
浅野長矩(1667-1701)は、播磨国赤穂(現在の兵庫県赤穂市)の藩主であり、元禄14年(1701年)の「松の廊下の刃傷事件」によって歴史に名を残した人物である。幕府の礼法指南役・吉良義央(上野介)...
Nene (Kōdai-in)
北政所——太閤の正室にして最後の砦、豊臣家と徳川の狭間に生きた貞女の生涯
## 北政所の誕生 天文十七年(一五四八年)頃、尾張国に生まれたねね(後に高台院)は、豊臣秀吉の正室として「北政所(きたのまんどころ)」の称号を得、天下人の妻として豊臣政権の中枢に位置した女性である。...
Maeda Keiji
傾奇者の戦国武将・槍の名手
前田慶次(1533頃-1612頃)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将であり、「傾奇者(かぶきもの)」の代表的存在として後世に語り継がれる個性的な人物である。本名は前田利益(まえだとします...
Ōtani Yoshitsugu
義に殉じた白頭巾の名将——関ヶ原で盟友・三成のために刀を抜き散った悲劇の知将
## 白頭巾の名将 永禄二年(一五五九年)頃に生まれたとされる大谷吉継は、豊臣政権において石田三成と並ぶ秀吉側近の一人として知られる知将である。後に「白頭巾」の異名を持つことになる吉継は、ハンセン病(...
Satomi Yoshiyasu
惣無事令違反で減封され、関ヶ原後に国持大名へ返り咲いた館山藩初代
里見義康(さとみ よしやす、天正元年〈1573年〉-慶長8年11月16日〈1603年12月18日〉)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名である。安房里見氏の当主として、豊臣・徳川両政権への従...
Itō Hirobumi
初代内閣総理大臣・明治立憲体制の創設者
伊藤博文(1841-1909)は、長州藩(現在の山口県)出身の幕末志士・明治の政治家であり、日本初代内閣総理大臣として知られる。吉田松陰の松下村塾に学んだ門下生の一人として、倒幕・明治維新の推進に深く...