※画像はイメージです。前田慶次
Maeda Keiji
傾奇者の戦国武将・槍の名手
解説
前田慶次(1533頃-1612頃)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将であり、「傾奇者(かぶきもの)」の代表的存在として後世に語り継がれる個性的な人物である。本名は前田利益(まえだとします)とも伝えられ、加賀前田家の一族として生まれたが、その豪快・奔放な性格から「戦国一の傾奇者」と称された。
慶次は前田利家の兄・前田利久の養子であり、利家から見れば甥にあたる人物として、前田家の武将として活躍した。しかし利家との折り合いが悪く、ある時利家を冷水風呂に沈めるという大胆な悪戯を仕掛けて出奔したというエピソードが有名である。その後は浪人として諸国を遍歴し、上杉景勝のもとに身を寄せて直江兼続とも深い親交を結んだ。
武将としての慶次は、槍を得意とする猛将であり、関ヶ原の戦い(1600年)前夜においては上杉家に属して会津征伐の際に活躍した。特に出羽の戦闘では最後尾を守る殿軍(しんがり)の任を務め、圧倒的な敵軍に対して一歩も引かない壮絶な奮戦を見せた。この際の「傾奇御免状」の逸話は、慶次の傾奇者としての矜持を示すものとして後世に語り継がれている。
日本刀との関わりにおいて、慶次は個性的な外見・装備で知られていた。身長六尺(約182センチ)と伝えられる大柄な体格に、常人とは異なる奇抜な衣装と武具を身に付け、戦場での存在感は際立っていた。槍の名手として名を馳せながらも、刀剣についても造詣が深く、上杉景勝や直江兼続との交際を通じて越後の刀匠・越前の刀剣なども把握していたと伝えられる。
晩年の慶次は上杉家の領国・米沢(現在の山形県米沢市)において余生を過ごし、和歌・連歌・茶道など武芸以外の文化的営みにも傾倒した。その自由奔放な生き方は、江戸時代以降に「傾奇者」の代名詞として広く知られるようになり、特に漫画「花の慶次」(原哲夫作)によって現代においても圧倒的な知名度と人気を誇る戦国武将となっている。
所持した刀剣
- 越後・越前伝来の打刀
- 上杉家中で珍重された名刀