※画像はイメージです。戦国時代後期1557-1582
織田信忠
Oda Nobutada
織田信長の嫡男・総領
解説
織田信忠(1557-1582)は織田信長の嫡男であり、父の後継者として天下統一事業を引き継ぐべき人物であった。信長に次ぐ地位を占め、岐阜城を拠点に父の指揮のもとで各地の平定に大きく貢献した。
信忠は武将として優れた才能を発揮し、1582年の武田家滅亡においては先鋒として活躍した。武田征伐では父・信長とともに甲信地方に侵攻し、天目山の戦いで武田勝頼を自害に追い込む決定的な勝利を収めた。この戦いでの信忠の指揮は高く評価され、天下人の資質を十分に示すものであった。
しかし同年6月の本能寺の変において、父・信長が明智光秀の謀反により討たれると、信忠も二条御所で抵抗したものの衆寡敵せず、25歳の若さで自刃した。信忠の死は織田家による天下統一の夢を断ち切り、豊臣秀吉・柴田勝家らによる後継争いの引き金となった。刀剣に関しては、信忠は父・信長の影響を受けて刀剣を深く愛好し、織田家に伝わる名刀の後継者として刀剣文化の守護者でもあった。もし本能寺の変がなければ、信忠が天下統一を完成させた可能性は極めて高く、日本史における「if」を語る上で欠かせない人物である。
所持した刀剣
- 織田家伝来の名刀