※画像はイメージです。津軽為信
Tsugaru Tamenobu
津軽藩祖・南部氏から独立した奥州の梟雄
解説
津軽為信(1550-1607)は、南部氏の支配下にあった津軽地方(現在の青森県西部)において独立を果たし、津軽藩の基礎を築いた戦国大名である。知略と武略を駆使して宗家・南部氏からの独立を成し遂げた「梟雄」として知られる一方、豊臣政権への巧みな外交によって自家の存続を図った政治家でもあった。
為信はもともと南部氏の家臣・大浦氏の当主であったが、1571年頃から徐々に南部氏からの自立を図り始めた。周辺の諸城を次々と攻略して勢力を拡大し、天正六年(一五七八年)に浪岡城を攻略するなど勢力を広げ、大浦城を本拠に事実上の独立を固めていった。この過程では謀略・奇策を駆使した記録も多く、「梟雄」の評価の由縁となっている。
豊臣秀吉の天下統一後、為信は素早く豊臣政権に接近し、1590年の小田原合戦に際しては秀吉に従って参陣することで所領を安堵された。この際に自家の姓を「大浦」から「津軽」に改め、津軽氏として独立した家格を確立した。関ヶ原の戦い(1600年)では早期に徳川方について戦後処理を有利に進め、津軽藩の存続と発展の礎を固めた。
刀剣との関わりでは、為信は津軽・南部の地で生産された東北の刀工の刀を愛用したと伝えられる。津軽地方は古来より鉄の産地として知られ、この地の鉄を用いた刀工が存在した。為信の収集した刀剣は津軽藩の宝物として伝えられ、東北刀剣文化の一端を形成している。
所持した刀剣
- 津軽家伝来の太刀
- 津軽為信の独立を誓った刀