※画像はイメージです。織田信秀
Oda Nobuhide
尾張の虎・織田信長の父、戦国乱世に台頭した傑出した武将
解説
織田信秀(1508-1551)は、尾張国(現在の愛知県西部)の戦国武将であり、天下統一を成し遂げた織田信長の父として歴史に名を残す人物である。尾張守護・斯波氏の守護代・織田大和守家の下に仕える地侍から出発し、その卓越した武勇と経済的手腕によって尾張国内に急速に勢力を拡大した「尾張の虎」と称された傑物である。
信秀は勝幡城を起点に那古野城・古渡城・末森城へと本拠を移しながら活動した。商業都市・津島(尾張国内の湊町)の支配権を掌握し、その経済力を背景に軍事力を増強した。また、熱田神宮の神主家とも緊密な関係を結び、海上交通の要衝・熱田の港を掌握することで、経済的な優位を固めた。信秀の経済戦略は、後の信長が行う楽市楽座など商業重視政策の先駆けとなったともいえる。
軍事面では、信秀は駿河の今川氏・三河の松平氏・美濃の斎藤氏・甲斐の武田氏といった周辺の強豪大名たちと激しく抗争した。天文17年(1548年)の小豆坂の戦いでは今川氏(太原雪斎指揮)に敗れたが、三河方面への進出をあきらめず抗争を続けた。また斎藤道三の美濃とは婚姻(信長と道三の娘・帰蝶の婚約)により和睦し、外交的にも巧みな手腕を発揮した。天文20年(1551年)、病により44歳で急逝し、嫡男・信長が後を継いだ。
日本刀との関わりにおいて、信秀は尾張の刀鍛冶文化を積極的に支援した大名として知られる。尾張国は関(美濃)や京都からの刀鍛冶の流入もあって、戦国期に多くの優れた刀工が活動した地域である。信秀は津島・熱田の商業ネットワークを通じて全国の名刀を収集し、外交の贈答品としても積極的に活用した。熱田神宮への奉納刀など、信秀ゆかりの刀剣が現在も尾張の神社・寺院に伝わっている。信長の刀剣趣味の原点は、父・信秀の刀剣コレクションにあったともいわれる。
所持した刀剣
- 熱田神宮奉納刀・尾張の刀鍛冶による名品
- 斎藤道三との和議に用いられた外交贈答の太刀