※画像はイメージです。室町時代中期1410?-1466
上杉憲実
Uesugi Norizane
主君・足利持氏と対立し永享の乱を戦った関東管領
解説
上杉憲実(うえすぎ のりざね)は、室町時代中期の武将で、関東管領をつとめた。生年は応永17年(1410年)とされるが確実な史料はなく推定である。没年は文正元年閏2月6日(1466年3月22日)、享年57。官途は安房守で、上野・武蔵・伊豆の守護を兼ねた。
関東管領として
応永26年(1419年)頃に関東管領となり、1420年の就任が確認できる。在任は1419年から1439年とされる。応永30年(1423年)には常陸の小栗氏を征伐するために出陣し、小栗城を攻め落とした。
永享の乱
永享10年(1438年)から翌年にかけての永享の乱では、主君である鎌倉公方・足利持氏と対立した。結果として持氏は自害に追い込まれ、嫡子の義久も死に至った。
結城合戦と隠遁
永享12年(1440年)の結城合戦では、幕府の命により政界に復帰して出陣したが、その後は再び隠遁した。
足利学校・金沢文庫
足利学校と金沢文庫を再興した人物として知られる。永享の乱の際には、足利学校に書籍や絵画を寄進したことが記されている。
出家と最期
乱ののち、伊豆国清寺で出家し、「雲洞庵長棟高岩」と称した。のちに諸国を遍歴し、大内氏を頼って留まった。没地は長門国大寧寺で、墓所は山口県長門市にある。