※画像はイメージです。足利義教
Ashikaga Yoshinori
室町幕府第6代将軍・万人恐怖
解説
足利義教(1394-1441)は、室町幕府第6代将軍であり、「万人恐怖」の異名を持つ室町時代最強の将軍のひとりである。義教はもともと天台宗の僧侶として延暦寺・梶井門跡に入り、「義円」と称していたが、将軍職に後継者がいなくなった際、くじ引きによって将軍に選ばれるという異例の経緯で1429年に征夷大将軍に就任した。
義教の統治スタイルは、前任の将軍たちとは一線を画する強権的なものであった。幕府の権力を強化するために守護大名の処罰や改易を積極的に行い、反抗する者は容赦なく取り潰した。その苛烈な政治姿勢から「万人恐怖」と呼ばれ、守護大名・公家・寺社を問わず、すべての勢力が義教の怒りを恐れたと伝えられる。関東管領・鎌倉公方との抗争、南朝勢力の弾圧など、在任中は数多くの政治的難題を強権をもって処理した。
刀剣文化との関わりにおいては、義教の時代は日本刀の美術的価値が高まった時期と重なる。義教自身も刀剣を重視し、幕府御用の刀工との関係を深めた。特に備前・長船の刀工集団は義教の時代に隆盛を迎え、多くの名刀が生産された。義教の収集した名刀は後に「足利将軍家御剣」として伝えられ、その一部は後世の大名たちによって珍重された。
1441年、嘉吉元年6月24日、義教は播磨守護・赤松満祐の屋敷で行われた宴席に招かれ、突然に赤松一族の武士たちに囲まれて暗殺された。この「嘉吉の変」は、現職の征夷大将軍が守護大名に謀殺されるという前代未聞の事件であり、室町幕府の権威を大きく揺るがせた。義教の死後、幕府の権力は急速に衰えていき、応仁の乱に至る戦乱の時代への伏線となった。万人を恐怖させた将軍が守護大名の一計にあえなく斃れた歴史の皮肉は、後世の人々に深い印象を与えている。
所持した刀剣
- 足利将軍家御剣
- 備前長船作の名刀