※画像はイメージです。赤松満祐
Akamatsu Mitsusuke
嘉吉の乱の首謀者・将軍暗殺を決行した播磨守護
解説
赤松満祐(1381-1441)は、室町幕府の播磨・備前・美作三カ国の守護であり、1441年の「嘉吉の乱」において六代将軍・足利義教を暗殺したことで歴史に名を刻んだ武将である。将軍を殺害するという前代未聞の挙に及んだ満祐の行動は、室町幕府の権威を大きく傷つけ、応仁の乱への道を開く遠因の一つとなった。
満祐の家・赤松氏は南北朝の動乱において足利尊氏を助けた功績で播磨等の守護職を得た名門であった。しかし足利義教(「万人恐怖」と呼ばれた独裁的な将軍)の専制政治のもとで、多くの守護大名が粛清・圧迫を受けており、満祐もその対象となっていた。所領の削減や一族への弾圧に恐怖を感じた満祐は、先手を打つ形で義教暗殺を決意したとされる。
1441年6月24日、満祐は結城合戦の祝勝と称して義教を自邸に招き、猿楽の宴の最中に刺客を放って義教を暗殺した(嘉吉の乱)。しかしこの反乱は成功とはいえなかった。幕府の大軍が播磨に攻め入り、満祐は城山城(兵庫県たつの市)に籠城後、同年9月に自害して果てた。
刀剣との関わりでは、赤松氏は播磨・備前において著名な刀工の産地を支配しており、備前長船の刀工たちとの関係が深かった。満祐が義教暗殺に用いた刀は「嘉吉の短刀」として語り継がれ、日本史上最も劇的な暗殺事件の証人として刀剣史にも刻まれている。
所持した刀剣
- 嘉吉の乱に用いた短刀
- 赤松家伝来の備前刀