
室町合戦
結城合戦——永享の乱の遺児を奉じた結城氏朝の籠城
永享12年(1440年)3月ごろ〜嘉吉元年(1441年)4月16日(旧暦)
下総国結城城(現・茨城県結城市)
- 日時
- 永享12年(1440年)3月ごろ〜嘉吉元年(1441年)4月16日(旧暦)
- 場所
- 下総国結城城(現・茨城県結城市)
- 結果
- 幕府方の勝利。春王丸と安王丸は捕らえられ、美濃の垂井で殺害された。上杉氏による関東支配が進んだ。結城氏は成朝が再興した。
勢力
幕府方
大将上杉清方(総大将とする説)、上杉憲実、上杉持朝、上杉持房、上杉教朝、今川範忠、小笠原政康ら
兵力不詳
結城方
大将結城氏朝、足利春王丸・安王丸。関東で加わった勢力に宇都宮等綱、小山広朝、那須資重、佐竹義人
兵力不詳
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結城合戦は、永享12年(1440年)3月ごろに結城氏朝が挙兵し、約1年の籠城の末、嘉吉元年(1441年)4月16日(旧暦)に結城城が落城した合戦である。氏朝は、足利持氏の遺児である春王丸と安王丸を結城城に迎えていた。
背景
結城合戦の前には、永享10年(1438年)の永享の乱がある。この乱で足利持氏は敗れて自殺し、鎌倉府が滅んだ。結城氏朝は、その持氏の遺児二人を結城城に迎えて挙兵した。
幕府方の動き
関東管領上杉憲実は弟の清方を派遣して結城城を攻めさせた。幕府方は上杉清方を総大将とし、上杉持朝、上杉持房、上杉教朝、今川範忠、小笠原政康らの諸将が加わったとされる。信濃の小笠原氏、甲斐の武田氏、越後の長尾氏らも動員された。関東の諸家の対応は、賛否が割れた。
結城方に加わった勢力
結城氏朝が首謀者である。関東で結城方に加わった勢力には、宇都宮等綱、小山広朝、那須資重、佐竹義人がいる。
落城
結城城は、約1年の籠城ののち、嘉吉元年4月16日に落ちた。氏朝の最期は、自害とも討死とも伝えられる。子の持朝も父とともに討死したとされる。
結果とその後
幕府方が勝利した。春王丸と安王丸は捕らえられ、美濃の垂井で殺害された。この結果、上杉氏による関東支配が進んだ。結城氏は、氏朝の遺児の成朝が再興したが、のちに家臣の多賀谷氏に暗殺され、次代の氏広も若くして死去したため、再び衰えた。