
室町戦争
長享の乱(扇谷上杉・山内上杉の抗争)
長享元年(1487年)〜永正2年(1505年)
関東(武蔵・相模など)。主な戦場は伊勢原・嵐山町・小川町・寄居町・立川市
- 日時
- 長享元年(1487年)〜永正2年(1505年)
- 場所
- 関東(武蔵・相模など)。主な戦場は伊勢原・嵐山町・小川町・寄居町・立川市
- 結果
- 永正2年(1505年)3月、上杉朝良が降伏して乱は終結。両上杉家が弱り、後北条氏が関東に進出する道が開けた。
勢力
扇谷上杉家
大将上杉定正・上杉朝良
山内上杉家
大将上杉顕定
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概要
長享元年(1487年)から永正2年(1505年)まで、関東で扇谷上杉家と山内上杉家が争った。これを長享の乱という。主な戦場は、現在の伊勢原市、嵐山町、小川町、寄居町、立川市などである。
発端
文明18年(1486年)7月、扇谷上杉定正の家臣が糟屋館で太田道灌を暗殺した。長享元年(1487年)には、山内上杉顕定と上杉定昌が、足利荘の勧農城を長尾房清から奪い、本格的な戦いになった。
長享2年の三戦
長享2年(1488年)には三つの戦いがあった。2月、実蒔原(伊勢原市)で顕定軍が奇襲されて敗れ、七沢城は扇谷側に落ちた。6月、須賀谷原(嵐山町)では、扇谷側が長尾景春と足利政氏の加勢を得て顕定に勝った。11月には高見原(小川町)と鷹野原(寄居町)で、定正が鉢形城を攻め、顕定が敗れた。
長期化と立河原の戦い
明応3年(1494年)に扇谷上杉定正が死去し、上杉朝良が家を継いだ。明応5年(1496年)、顕定は足利政氏と結び、伊勢宗瑞(北条早雲)の小田原城を攻めた。
永正元年(1504年)8月、顕定は朝良の本拠である河越城を攻め始めた。9月27日の立河原の戦い(立川市)では、朝良側に今川氏親と伊勢宗瑞の援軍が付き、顕定側が大敗して死者は2,000余に上った。
終結とその後
永正2年(1505年)3月、朝良は武蔵の中野陣で降伏して剃髪し、幽閉された。乱はこれで終結した。結果として両上杉家は弱り、後北条氏が関東に進出する道が開けた。