※画像はイメージです。島左近
Shima Sakon
石田三成の筆頭家老・戦国屈指の猛将
解説
島左近(生年不詳-1600)は、本名・島清興、通称・左近と呼ばれた戦国時代屈指の剣士・武将である。「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と詠まれたように、石田三成が破格の待遇で召し抱えた猛将として知られる。
左近はもともと大和(奈良県)の筒井定次に仕えていたが、筒井氏が伊賀転封となると浪人の身となった。この剣客を三成は自分の知行の半分を与えるという異例の条件で招聘し、「天下の名将」と評された。左近の剣術は実戦的な剛剣の使い手であり、その勇猛さは諸将に恐れられた。
関ヶ原の戦い(1600年)では石田三成の西軍に属して奮戦し、開戦当初は黒田長政・細川忠興の東軍勢力に対して互角以上の戦いを演じた。しかし戦況が不利になる中、左近は島津義弘の側面を支援しながら敵中に突入し、壮絶な最期を遂げたと伝えられる。その死については諸説あり、実際は生き残ったとする説もある。
刀剣との関わりでは、左近は剣術の達人として知られ、筒井・石田両家で最も信頼された武将の一人であった。彼が愛用した刀は「島左近の愛刀」として語り継がれ、その剛剣の使い手としての評判とともに、武将としての名声を後世に伝えている。戦国時代の剣客武将の典型として、今日でも多くの武将ファンに愛される人物である。
所持した刀剣
- 島左近愛刀(伝・備前長船)
- 関ヶ原の陣刀