※画像はイメージです。織田信雄
Oda Nobukatsu
信長の次男・小牧・長久手の戦いで家康と結んで秀吉と対峙した織田家の後継者
解説
織田信雄(1558-1630)は、織田信長の次男として生まれ、父の死後に織田家の名跡を継いだ武将・大名である。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは徳川家康と連携して豊臣秀吉と対立し、戦国末期の政局を左右した。波乱に富んだ生涯を歩みながらも73歳まで長命し、江戸時代初期まで生き延びた数少ない戦国大名の一人である。
信雄は永禄元年(1558年)に織田信長の次男として生まれた。幼名は茶筅丸。北畠氏の養子として伊賀・伊勢の支配権を与えられ、天正4年(1576年)の三瀬の変で前当主・北畠具教らを討ち、伊勢を掌握した。本能寺の変(1582年)で信長が横死すると、信雄は羽柴秀吉に擁立され、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家・織田信孝の側と対立した。
天正12年(1584年)、信雄は徳川家康と同盟を結び、秀吉に対して挙兵した。小牧・長久手の戦いでは、家康の指揮のもと秀吉軍に対して互角以上の戦いを展開した。しかし同年11月、信雄は独断で秀吉と講和を結んでしまい、家康を驚かせた。この信雄の単独和平により、実質的に戦争は終結した。その後、秀吉政権下で大名として存続したが、天正18年(1590年)の小田原征伐後、家康旧領への国替えを拒否したことを理由に改易された。関ヶ原の戦い後、家康の支援により大名として復権し、江戸時代初期まで生き延びた。
日本刀との関わりにおいて、信雄は織田信長から受け継いだ刀剣文化の継承者として位置づけられる。信長は著名な刀剣コレクターであり、「薬研藤四郎」「へし切長谷部」など天下の名刀を所蔵していた。信雄はその一部を継承し、織田家伝来の刀剣として大切に保管した。また信雄自身も茶の湯を好む文化人的側面を持ち、刀剣を芸術品として鑑賞する眼識を持っていた。波乱の生涯を生き延びた信雄が守り伝えた織田家ゆかりの刀剣は、信長の偉業と共に後世へと受け継がれた遺産である。
所持した刀剣
- 織田家相伝の刀剣・信雄が波乱の生涯を通じて守り伝えた家宝