※画像はイメージです。成田長親
Narita Nagachika
小田原征伐で忍城を守り抜いた成田氏の家臣——『のぼうの城』の主人公のモデル
解説
成田長親(なりた ながちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、武蔵国忍城主・成田氏長の家臣である。天文15年(1546年)、成田泰季の嫡男として生まれ、慶長17年12月4日(1613年1月24日)に67歳で没したとされる。官途名は大蔵大輔、号は自永斎、法名は青岩義栢菴主。
生涯
主君は成田氏長。天正2年(1574年)以降、羽生領をめぐる戦いの後、氏長のもとで数々の軍功があったとされる。天正6年の分限帳には「永三百貫 成田大蔵」と記され、これが長親に比定されている。妻は遠山藤九郎の娘で、子に長季、泰家らがいる。
忍城の戦い
天正18年(1590年)の小田原征伐では、父の泰季が忍城の城代を務めた。『成田記』によれば、泰季の急死後に長親が総大将を命じられたという。『成田系図』では、長親は持田口を守ったと記される。石田三成による水攻めに対し、夜間に堤を切って水を敵陣へ流したとも伝えられるが、これは『成田系図』の記述にとどまる。なお、浅野長政の軍が皿尾口を破って城兵を討ち取ったことは浅野側の戦功として記される。最終的に、豊臣秀吉の仲裁によって開城に至った。
開城後
氏長は所領を没収されて蒲生氏郷に預けられ、長親も氏郷に従ったとされる。氏長はのちに下野国烏山城2万石を与えられて大名に復帰した。『成田系図』によると、氏長は長親に疑いを向け、長親は烏山を去って流浪の身となり、氏長の謝罪の書状にも従わなかったという。一方、『断家譜』には「小田原落城後浪人」とのみ記される。剃髪して自永斎と号し、尾張国で隠居したとされる。墓所は名古屋市の大光院で、墓碑は平和公園内の大光院墓地にある。家系はその後も尾張藩士として続いた。
後世評価
和田竜の小説『のぼうの城』の主人公のモデルとされ、2012年に映画化された。風野真知雄の小説『水の城 いまだ落城せず』でも主人公として描かれている。