木村重成
Kimura Shigenari
香を焚いて出陣した豊臣家の若武者
解説
生涯
生年は定かでないが、豊臣秀頼の乳母の子として生まれ、秀頼とほぼ同年齢の乳兄弟であったとみられる木村重成は、幼少期より秀頼の小姓として仕え、元服後は豊臣家の重臣として重用された。父は木村重茲。
大坂の陣における戦歴
慶長十九年(一六一四年)の大坂冬の陣が初陣となり、今福の戦いでは後藤基次とともに佐竹義宣の軍勢を押し返す戦功を挙げた。真田丸の戦いにも参加し、若き武将として頭角を現した。翌年の大坂夏の陣では長宗我部盛親とともに八尾・若江方面に出陣し、藤堂高虎・井伊直孝の両軍と対峙した。
若江の戦いと最期
慶長二十年五月六日(一六一五年六月二日)、若江での戦闘で藤堂軍の右翼を破ったのち、兵を収めて敵の来襲を待った重成であったが、その後の突撃戦で井伊軍と激突し、討死を遂げた。
逸話
出陣に際し、重成は自らの死を覚悟し、兜に香を焚きしめ、結婚してわずか五か月の妻・青柳と最後の盃を交わしたと伝わる。首実検の場に運ばれたその首から香の芳香が漂ったことに徳川家康は深く感嘆し、これぞ武士の心構えであると称賛したという逸話が広く知られている。
刀剣との関わり
「本阿彌行状記」および「名物記」には、重成が大坂冬の陣の後に名物「骨喰藤四郎」を拝領したとの記述が残る。また元服の祝いに徳川家康が本多忠勝を介して贈ったとされる、無銘ながら来国俊と伝わる刀の逸話も語り継がれている。
後世評価
若くして壮絶な最期を遂げた重成の物語は、忠義と美意識を体現する武士像として後世に語り継がれ、歌舞伎や講談などでも繰り返し題材とされてきた。
所持した刀剣
- 来国俊(元服祝いに徳川家康が本多忠勝を介して贈ったと伝わる無銘の刀)
- 骨喰藤四郎(「本阿彌行状記」等に大坂冬の陣後の拝領と記される名物)