※画像はイメージです。戦国〜江戸初期1543-1611
堀尾吉晴
Horio Yoshiharu
「仏の茂助」と呼ばれた三中老・松江城を築き出雲24万石を治めた温厚なる古参家臣
解説
堀尾吉晴(1543-1611)は豊臣秀吉の古参家臣として頭角を現し、その温厚篤実な人柄から「仏の茂助」と称えられた戦国武将。生駒親正・中村一氏とともに「三中老」に列せられ、豊臣政権の中枢を支えた。朝鮮出兵や文禄・慶長の役にも従軍し、関ヶ原の戦いでは東軍に与して戦後に出雲・隠岐24万石を拝領した。嫡子・忠氏とともに松江城の築城に着手するも忠氏が1604年に急逝したため、吉晴自身が工事を引き継いで1611年に松江城を完成させた。同年に吉晴も没し、孫・忠晴が後を継いだが嗣子なく断絶。松江城は国宝天守として現存し、堀尾一族の遺産は今なお山陰の地に刻まれている。愛刀については記録が少ないが、豊臣・徳川両政権に仕えた重臣として正宗・郷義弘系の相州伝銘刀を帯びていたと推測される。
所持した刀剣
- 相州伝の太刀(豊臣政権重臣として拝領したと推定される名刀)
- 豊臣秀吉より賜った打刀(関ヶ原前後の遺品と伝わるもの)