※画像はイメージです。戦国〜江戸初期1596-1667
小笠原忠真
Ogasawara Tadazane
小倉藩主・礼法小笠原流の継承者、九州北部15万石の大名として江戸初期の雄藩を支えた
解説
小笠原忠真(1596-1667)は細川忠利の熊本転封後を受けて豊前小倉15万石を治めた譜代大名で、礼法・弓馬の流儀として知られる小笠原流の継承者でもある。父・秀政が大坂夏の陣で戦死したため若くして家督を継ぎ、徳川幕府のもとで北九州の拠点・小倉城を本拠に藩政を整えた。島原の乱(1637-1638)では幕府軍の一員として参加し、反乱鎮圧に功績を上げた。小笠原流礼法は武家礼式・弓術・馬術の総合体系として徳川将軍家にも採用されており、忠真はその権威ある継承者として旗本・大名社会で重んじられた。刀剣については、小笠原流礼法のなかに太刀の礼式・佩刀の作法が体系化されており、忠真は形式美を重んじる礼法刀剣の権威でもあった。儀礼用の飾り太刀や朝廷・将軍家への進物用名刀を多く扱い、備前・山城伝の名工による太刀を愛したと伝わる。
所持した刀剣
- 備前伝の飾り太刀(小笠原流礼法の儀式に使われた作法刀)
- 山城伝の太刀(将軍家への進物として用いた名刀)