※画像はイメージです。奥州伝古刀
舞草
Mokusa
解説
概要
舞草(もくさ)は、陸奥国磐井郡舞草(現在の岩手県一関市舞川)を拠点とした刀工集団である。平安時代末期に活動した日本で最も古い刀工集団のひとつとされ、実戦に適した反りを持つ刀を生み出したことから、日本刀の成立を語るうえで始祖的な位置を占める。作は「舞草刀」と呼ばれ、一関市博物館には「太刀 銘 舞草」などが伝存する。
蕨手刀との系譜
それ以前の刀剣が反りのない直刀であったのに対し、舞草刀には反りが認められる点が最大の特徴である。この反りは、古墳時代以来東北地方の蝦夷が用いた蕨手刀(わらびてとう)に見られるわずかな反りの影響を受けて生まれたとする見方があり、舞草刀は日本刀の反りの成立に関わる系譜上の存在として位置づけられている。
奥州藤原氏の庇護
舞草派は、平泉を拠点として奥州の金や馬による富を築いた奥州藤原氏の庇護のもとで栄えた。舞草刀は「奥州刀」と呼ばれ、源義家や京の武士にも愛用されたと伝わる。
衰退
文治五年(1189年)、源頼朝による奥州合戦で奥州藤原氏が滅ぼされると、舞草派は庇護者を失った。刀工の一部は頼朝の命で鎌倉へ移住したと伝わるが、多くは各地へ離散したとされる。ただし舞草鍛冶の名は室町時代まで刀剣史に残っている。
現在の位置づけ
一関市博物館は舞草刀と関連資料を収蔵・展示している。蕨手刀から日本刀への移行期を担った刀工集団として、日本刀史の源流のひとつに位置づけられている。
代表作
- 太刀 銘 舞草(一関市博物館蔵)