※画像はイメージです。山城伝(来派系)古刀
千代鶴国安
Chiyozuru Kuniyasu
解説
千代鶴国安(ちよづるくにやす)は、南北朝時代中期の14世紀に活躍したと伝わる刀工で、越前国(現・福井県越前市)に下向して千代鶴派の祖となった人物である。
系統・流派
国安はもと京都の刀工で、来国安(らいくにやす)に師事したと伝わる。延元2年(建武4年、1337年)頃、良質の刀剣を鍛えるための適地を求めて京から越前国府中(現・越前市)に移り住んだ。山城の来派の技術を北陸へ伝えた人物として位置づけられる。
逸話と伝承
国安は刀鍛冶の傍ら近郷の農民のために鎌を鍛えたと伝わり、その鎌の形は池に映った三日月に着想を得たとする伝承が残る。これが「越前鎌」の起源とされる。また、優れた刀を打ち上げるたびに砥石を彫って狛犬像を作り、武運長久や刀が殺傷の道具ではなく武士の象徴であるようにとの祈りを込めて池に沈めたという伝承があり、昭和7年(1932年)の池底浚渫の際に十数体の狛犬像と刀身一振が発見されている。
後世への影響
国安の来住を起源として、越前市の打刃物業は昭和54年(1979年)、刃物産地として全国で初めて伝統的工芸品の指定を受けた「越前打刃物」に発展した。現地には千代鶴神社や千代鶴の館が残り、今日まで国安は越前打刃物の開祖として顕彰されている。
評価
国安個人の作刀そのものの現存・極めは乏しいが、京都の来派の技術を地方(越前)に移植し、後世に続く一大刃物産地の礎を築いた人物として、刀工史というより産業史・工芸史の文脈で高く評価されている。