青江吉次
Aoe Yoshitsugu
解説
系統・流派
青江吉次(あおえよしつぐ)は、鎌倉時代に備中国(現在の岡山県西部)で活動した青江派の刀工である。青江派は鎌倉時代に興り、南北朝時代まで作品を残した一派で、刀工名に「次」の字を通字とすることが大きな特徴とされる。一般に平安時代末から鎌倉時代中期までを古青江、鎌倉時代中期から南北朝時代初期までを中青江、南北朝時代末期以降を末青江と区分し、吉次は中青江を代表する刀工の一人に数えられる。
代表作
重要文化財「太刀 銘 備中国青江住右衛門尉平吉次作 元徳二年五月日」は、鎌倉時代末の元徳2年(1330)の年紀をもつ一口で、東京国立博物館に所蔵される。明治時代に毛利家から明治天皇へ献上されたもので、製作年が判明する青江派の作例の中でも古い年代を示し、また制作当初の形状を残している点でも貴重とされる。
中青江の作品には、この太刀のように銘に製作年や製作地、あるいは官名を切ったものが多く見られる。本作も「右衛門尉」の官名と「平」の姓を銘に切っており、その典型といえる。
九州国立博物館にも「太刀 銘 吉次」が収蔵されている。鍬形の造込み、庵棟、中鋒で、細身で反りが高い姿をもち、茎は生ぶ茎で佩裏に「吉次」の二字銘を切る。
作風
元徳二年紀の太刀は、板目肌が細かく肌立って青江派独特の縮緬肌の地鉄を示し、映りが全体に立って一部に段映りが見られる。刃文は高低差の少ない小丁子刃を焼き、匂口は締まりごころとなる。九州国立博物館の一口は板目肌立って地沸がつき、直刃に湾れを交えた刃文に小沸がつき、帽子は小丸に返る。
中青江全体としては、小板目肌がよく整い澄肌を交える地鉄に、直刃を基調としつつ匂口の締まるものや華やかな逆丁子刃を焼くものが見られるようになるとされ、吉次の作もこの時代の青江派の特色をよく示している。
意義
年紀・居住地・官名を明記した在銘の太刀が重要文化財として伝わることから、吉次は中青江の作刀時期や作風を知るうえでの基準作を残した刀工として位置づけられる。
代表作
- 重文 太刀 銘 備中国青江住右衛門尉平吉次作 元徳二年五月日(東京国立博物館)
- 太刀 銘 吉次(九州国立博物館)