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歴史 ・ 初級
直刀から湾刀への変遷・各時代の作風・刀狩・廃刀令・草薙剣・合戦と刀剣など、日本刀の歴史の基礎知識を問う全10問。すべての選択肢・正解は一次資料で裏取り済みです。
平安時代中期(承平・天慶の乱 939年前後)以降、騎馬を主とする武士が台頭した。馬上では直刀より反りのある刀の方が抜刀しやすく、流れるような斬撃が可能なため、湾刀(反りのある太刀)が定着した。直刀は突刺が主な攻撃手段だったが、反りを付けることで斬撃の鋭さが増した(刀剣ワールド「日本刀の歴史」)。
廃刀令は明治9年(1876年)3月28日、太政官より布告された。大礼服着用者・軍人・警察官・官吏が制服着用時などの例外を除き、帯刀が全面的に禁止された。翌1877年の西南戦争はこの廃刀令への士族の反発を背景の一つとする(国立公文書館「日本のあゆみ」明治9年)。
豊臣秀吉は天正16年(1588年)7月8日に刀狩令を発し、百姓による帯刀を禁じた。没収した武器は京の方広寺の大仏建立に使うと布告し、兵農分離を推進した。全国の大名に武器回収を命じ、島津氏から約3万点が集まったとも伝わる(Wikipedia「刀狩」)。
草薙剣(天叢雲剣)は三種の神器(草薙剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉)のひとつで、愛知県名古屋市の熱田神宮にご神体として祀られている。なお、八咫鏡は伊勢神宮(内宮)、八尺瓊勾玉は皇居の剣璽の間に安置されている(熱田神宮公式サイト)。
文永の役(1274年)で元軍は集団戦法・毒矢・てつはう(炸裂弾)を使い、一騎討ちを得意とする日本武士を苦しめた。この経験が鎌倉後期の刀剣改良(折れにくく・反りが浅くなる等)を促したとされる。南北朝期の大太刀・野太刀の出現にもつながる(刀剣ワールド「元寇」)。
南北朝時代は戦乱が全国に及び、歩兵集団が大規模な合戦を繰り広げた。刃長3尺(約90cm)を超す豪壮な大太刀・野太刀が作られ、元先の身幅が広く大切先の「大太刀姿」が特徴的となった。後世にも好まれる様式として知られる(刀剣ワールド「大太刀・野太刀」)。
太刀は刃を下(刃方下向き)にして太刀緒で腰から吊るして「佩く」。打刀は刃を上(刃方上向き)にして腰帯に差す「帯刀」。室町後期から戦国時代にかけて歩兵中心の徒戦が主流となり、素早く抜刀できる打刀が太刀に代わって普及した(刀剣ワールド「太刀と打刀の違い」・兵庫県立歴史博物館)。
日本刀は①古刀(〜1596年/慶長元年)②新刀(1596〜1763年)③新々刀(1763〜1876年)④現代刀(1876年〜)の4区分が定説。江戸時代中期の講釈師・神田白龍子が1721年の著作『新刃銘尽』で慶長元年(1596年)以降を「新刀」と呼んだことが起源(刀剣ワールド「古刀・新刀・新々刀・現代刀の変遷」)。
たたら製鉄は砂鉄と木炭を用いた日本古来の製鉄法で、玉鋼(日本刀の素材)はこの方法でしか作れない。中国山地(島根県奥出雲地方など)が一大産地で、江戸後期〜明治初頭には国内の鉄生産の9割近くを担ったとされる。現在は日本美術刀剣保存協会(日刀保たたら)が伝統を継承(島根県公式観光サイト)。
西南戦争(明治10年・1877年)は西郷隆盛率いる薩摩士族が新政府に反旗を翻した内戦で、廃刀令や秩禄処分への士族の不満が背景にある。田原坂の戦いなどでは雨で銃が使えない場面に薩摩軍が刀を抜いて白兵戦を行い、日本最後の大規模な刀剣実戦となった(Wikipedia「西南戦争」・刀剣ワールド「西南戦争」)。