※画像はイメージです。北野槍正宗
Kitano Yari Masamune
別名: 北野槍(きたのやり)・相州正宗作の薙刀直し・三好家旧蔵
解説
北野槍正宗(きたのやりまさむね)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した相州伝(そうしゅうでん)最高峰の刀工・岡崎正宗(おかざきまさむね)の作と伝えられる薙刀直し(なぎなたなおし)の一振りで、京都・北野天満宮に奉納されたことからこの名を持つ。薙刀直しとは、もとは薙刀(なぎなた)として鍛えられた刀身を打ち直して刀や脇差に仕立て直したものを指すが、北野槍正宗の場合は「槍直し(やりなおし)」の可能性も専門家の間で議論されており、もとは穂先の形状を持つ武器として製作されたものが後に磨り上げられて現在の姿になったとする見解もある。
正宗は相模国鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)を拠点に活動し、五郎入道正宗とも称された。南北朝時代の軍記物語や伝承に名を連ねる「天下三作」の一人として後世に名高く、「正宗十哲(まさむねじってつ)」と呼ばれる優れた弟子たちを多く輩出した。その作刀は相州伝の精華である沸(にえ)が強く、沸崩れ(にえくずれ)・沸足(にえあし)・金筋(きんすじ)・稲妻(いなずま)といった激しい刃中変化を特色とし、見る者に圧倒的な存在感を与える。
北野槍正宗は刃長が比較的短めに磨り上げられており、地鉄には正宗特有の流れる板目肌(いためはだ)が現れ、地沸・地景が豊かに浮かぶ。刃文は正宗得意の湾れ(のたれ)を主体に大互の目(おおぐのめ)・尖り刃(とがりば)が混在し、刃中に激しい沸崩れと金筋が走る壮烈な景色を展開する。三好家(みよしけ)の伝来品として管理されていたものが、後に北野天満宮に奉納されたとされ、同宮の所蔵する刀剣類の中でも格別の由緒を持つ名品として知られている。北野天満宮ゆかりと伝わるが、指定・所蔵についての確実な記録は乏しい。
逸話・伝説
北野槍正宗には、三好長慶(みよしながよし、1522〜1564年)が戦場で肌身離さず携えたという伝承がある。三好長慶は室町幕府の実権を握り、畿内・四国に大きな勢力を誇った戦国大名であり、その武威を象徴する宝刀として北野槍正宗を重用したとされる。ある合戦の折、長慶が劣勢に立たされたとき、この刀が突如として妖しい光を放ち、敵兵が恐れをなして退散したという伝説が残る。
北野天満宮に奉納された経緯については、三好家滅亡後に同族または家臣が御霊鎮めのために奉納したとも、豊臣秀吉が天下統一を果たした際の記念として北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ、1587年)の折に奉納したともいわれ、史実は定かではない。しかし、北野天満宮の祭神・菅原道真公が武神としての一面も持つことから、「学問と武の神に捧げられた正宗」として地元では長く崇拝の対象となってきた。今日も宝物殿の奥深くにその刃は眠り、訪れる刀剣愛好家たちの崇敬を集めている。