※画像はイメージです。蜂須賀虎徹
Hachisuka Kotetsu
別名: 蜂須賀の虎徹
解説
蜂須賀虎徹は江戸時代前期最高の刀工と称される長曽根虎徹(ながそねこてつ)が打った刀の中でも、特に徳島藩主・蜂須賀家に伝来したことで名高い一振りである。虎徹は越前(現在の福井県)の甲冑師であったが、50歳前後(明暦年間・1656年頃)に甲冑師から刀工へ転じ、その遅咲きの才能が開花して江戸の名工として一世を風靡した。新刀期において最も評価が高い刀工の一人であり、その作刀の切れ味は「虎徹の切れ味」として武士社会に広く知られ、「虎徹か正宗か」と並び称されるほどの評価を得た。本刀は刃長約69.1センチで、刃文は互の目乱れ(ぐのめみだれ)を基調とし、刃中には小沸と沸足が豊かに現れている。地鉄は小板目肌が詰まった密度のある仕上がりで、虎徹特有の冴えた地艶が美しい。茎(なかご)には「長曽祢興里入道虎徹(おきさと)」と切られた銘があり、虎徹の全盛期に相当する出来栄えを示している。江戸時代において阿波徳島藩の蜂須賀家に所蔵されたことが記録され、現在は個人蔵で、徳島藩主・蜂須賀家に伝来した名物である。新撰組局長・近藤勇が虎徹を愛刀としたことは有名であり、この蜂須賀家旧蔵の虎徹もその名刀評価の一端を担っている。
逸話・伝説
虎徹の刀は「切れ味日本一」と称され、その名は江戸市中に広く知れ渡った。この蜂須賀家旧蔵の虎徹については、本刀の茎には寛文5年(1665年)に試し切り(截断)を行い「弐ツ胴(二つ胴)」を截断したことを記す金象嵌の截断銘が入れられている(截断者は当時著名な刀剣試し切り役・山野加右衛門永久と伝わる)。また、刀剣鑑定の大家であった本阿弥家が「虎徹の最上作」と折り紙(極め書き)を与えたとも伝えられ、刀剣界において最高の評価を受けた証とされている。近藤勇が池田屋事件で用いたとされる虎徹とともに、本刀は新刀期最高の名工としての虎徹の名声を不朽のものとする存在として語り継がれている。