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慶応4年5月6日(1868年)
陸奥国白石城(現・宮城県白石市)・仙台(現・宮城県仙台市)ほか
勢力
奥羽越列藩同盟
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奥羽越列藩同盟は、慶応4年(1868年)、戊辰戦争の最中に、仙台藩・米沢藩を中心とする奥羽の諸藩に、北越(越後北部)の諸藩が加わって結んだ同盟である。成立日は北越の諸藩が加わった慶応4年5月6日とされるが諸説あり、仙台で25藩が盟約書に調印した5月3日とする見方もある。参加藩は、奥羽諸藩に北越6藩が加盟した計31藩とされる。
同盟は、輪王寺宮公現入道親王(のちの北白川宮能久親王)を盟主に迎えた。しかし白河口など各地の戦いで同盟軍が敗れると、足並みは崩れ、7月から9月にかけて各藩が相次いで降伏した。同盟として一括して降伏したのではなく、藩ごとに個別に降伏したことが、この同盟の崩れ方の特徴である。
同盟の出発点となったのが、白石城で開かれた白石会議である。閏4月11日に奥羽14藩が白石城に集まって会議を開き、会津藩の寛典処分を求める嘆願書を総督府に出したが、却下された。閏4月23日には新たに11藩を加えて、白石盟約書に調印した。
5月3日には仙台で25藩が盟約書に調印した。成立日を5月3日とするか、5月6日とするかで、扱いが分かれる。
その後、北越の諸藩が加わった。長岡藩の加盟は5月4日で、新発田藩など他の北越5藩は5月6日に加盟した。最終的に、奥羽諸藩に北越6藩が加わって、計31藩となった。同盟の中心は仙台藩と米沢藩であった。
同盟の盟主には、輪王寺宮公現入道親王が迎えられた。6月16日に盟主のみの就任に決着し、7月12日に白石城に入って列藩会議に出席した。
同盟の政策機関として、白石に公議府(奥羽越公議府)が置かれた。
同盟軍は、白河口、棚倉、磐城平などの戦いで敗れた。その後、同盟は急速に崩れていった。
三春藩が7月26日に新政府軍に恭順し、二本松城は7月29日に落城した。相馬中村藩は8月6日に降伏した。9月に入ると、米沢藩が9月4日に、仙台藩が9月12日に降伏した。盛岡・会津・庄内の各藩は、9月中旬から下旬にかけて降伏した(会津藩の若松城開城は9月22日)。盟主の輪王寺宮は9月18日に降伏している。
北越では、長岡城が5月19日に落城し、7月24日に奪還されたものの、7月29日に再び落城した。同盟が一括して降伏した事実はなく、各藩が個別に降伏していったことは、同盟が軍事的にも政治的にも一枚岩ではなかったことを示している。
同盟に関わる主な城は、仙台城・米沢城・白河小峰城・長岡城・会津若松城などである。
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