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※画像はイメージです。来一族(らいいちぞく)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて京都を拠点に活躍した刀工集団であり、山城伝(やましろでん)を代表する名工たちによって構成されている。始祖については諸説あり、確実な史料に乏しいが、一般的には「来国行(らいくにゆき)」または「来国俊(らいくにとし)」を一族の始まりと位置づける説が有力だ。
「来(ライ)」という特異な姓の由来については、大陸(朝鮮半島または中国)からの渡来人を先祖に持つという説が古くから存在する。京都という地理的特性から見ても、大陸の金属加工技術を持った渡来系の職人が定着し、独自の刀剣製作伝統を確立したとする渡来説は一定の説得力を持つ。ただし確証はなく、単なる雅号または屋号としての「来」という字を使用したに過ぎないという説もある。
いずれにせよ、来一族が活動した13世紀後半から14世紀前半の京都は、公家文化の中心地であると同時に、鎌倉幕府の影響下にある武家社会の文化も流入し始めた時代であった。来一族の刀剣はこの二つの文化的背景を反映しており、優美な公家的審美眼と武家社会が求める実用性を兼ね備えた独特の作風を形成した。
来一族の中心人物としてまず挙げられるのが来国行(らいくにゆき)だ。年代的には13世紀後半(文永・弘安年間前後)の人物とされ、国宝・重要文化財に指定された作品が複数残っている。来国行の作刀は、地鉄の精良さと刃文の品格において当時の最高水準を示しており、「山城伝の粋」と評される。
最も名声の高い来一族の刀工は来国俊(らいくにとし)であろう。鎌倉時代後期から元享年間(1320年代初頭)頃にかけて活躍したとされ、その作品は太刀・短刀ともに多く現存する。来国俊の刀剣は国宝に指定されたものだけで複数あり、日本刀史上最高峰の刀工の一人として位置づけられている。作風の特徴としては、細やかで締まった地肌(板目流れる)、上品に乱れる刃文(主に丁子乱れや小乱れ)、そして刀身全体に漂う優雅な気品が挙げられる。
来国光(らいくにみつ)は来国俊の後継者と位置づけられ、14世紀前半(南北朝時代初期)にかけて活躍した。来国光の作品は国俊の様式を継承しながらも、より力強い刃文表現を持つものが多く、南北朝期の豪壮な武家文化の影響が見られる。重要文化財に指定された短刀・太刀が複数現存し、来一族の技術的水準が後継者にも引き継がれたことを示している。
来一族の作刀は「山城伝(やましろでん)」の典型として、備前伝・相州伝・大和伝・美濃伝と並ぶ日本刀の五箇伝(ごかでん)のひとつに数えられる。山城伝の特徴は一般的に以下のようにまとめられる。
地鉄(じがね)においては、よく詰んだ板目(いため)肌が主体であり、流れや柾(まさ)が混じることもある。地景(ちけい)や金筋(きんすじ)が現れることもあり、これらは熟練した鍛錬技術の証とされる。全体的に地鉄は精緻で上品な印象を与える。
刃文(はもん)においては、細やかな小乱れ(こみだれ)や丁子乱れ(ちょうじみだれ)が代表的であり、匂口(においぐち)は締まって品格がある。沸(にえ)は細かく均一で、相州伝のように荒々しい大沸ではなく、繊細で優美な表現を特徴とする。
切先(きっさき)は小ぶりの「小切先(こきっさき)」が基本であり、刀姿全体に平安貴族文化の審美眼が反映されている。これは同時代の相州伝(鎌倉)の太刀が力強い姿を見せるのとは対照的であり、来一族が宮廷・公家社会の注文に応える場でも活躍したことを示唆する。
来一族が最盛期を迎えた13世紀後半から14世紀前半は、鎌倉幕府の後期にあたり、元寇(文永・弘安の役)による社会的緊張や幕府内部の権力闘争(得宗(とくそう)専制の確立)など激動の時代だった。こうした時代背景は刀剣需要の高まりをもたらし、来一族のような有力刀工集団には相応の注文があったと考えられる。
京都という立地は、来一族に朝廷・公家社会からの注文を取り込む有利な条件を与えていた。後醍醐天皇の倒幕運動(元弘の変・1331年)と鎌倉幕府滅亡という激動の時期においても、来一族は引き続き活動を続け、南北朝時代の刀工として来国光らがその技術を継承した。
来一族の作刀技術は後世の京都・山城系刀工に大きな影響を与えた。特に室町時代以降の「新刀(しんとう)期」における京都の刀工たちは、来一族の様式を「山城伝の基準」として参照し続けた。江戸時代の刀剣鑑定家・本阿弥家(ほんあみけ)も来一族の作品を高く評価しており、来国俊の太刀は「天下の名刀」として将軍家や大名家のコレクションに収められた。
現代においても来一族の作品は日本刀愛好家から最高の評価を受けており、オークションでは億円台の取引事例も報告されている。東京国立博物館・京都国立博物館・各地の神社仏閣に所蔵される来一族の刀剣は、鎌倉後期の日本刀芸術の精華として多くの鑑賞者を魅了し続けている。
また日刀保(日本美術刀剣保存協会)の鑑定においても来一族の作品は最高位の評価を受けており、現代の刀工が山城伝を学ぶ際の手本としても来国俊らの作品が参照されている。1000年近い時を経てなお輝きを放つ来一族の刀剣は、日本刀という文化の深さと豊かさを体現する存在だ。
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