※圖片為示意圖。戰國時代~安土桃山時代1548-1596
秋月種実
秋月種実
秋月氏16代當主
介紹
生涯
天文17年(1548年)、筑前國の國人・秋月文種の次男として生まれた。弘治3年(1557年)、秋月氏が毛利元就の調略に應じて大友氏に反旗を翻すと、大友宗麟の攻擊を受けて父・文種と兄・晴種は自害し、種實は家臣に守られて古処山城から脱出、毛利氏を頼って周防國へ逃れた。
勢力回復と最盛期
毛利氏の庇護のもとで再起を圖り、大友氏の衰退に乗じて舊領を回復した。さらに薩摩の島津氏と結んで勢力を擴大し、最終的には筑前・豐前・筑後北部に及ぶ36万石規模の版圖を築き、秋月氏の最盛期を現出した。
豊臣秀吉との對峙と降伏
天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定では島津方に屬して抵抗したが、家傳の名器「楢柴肩衝」を秀吉に獻上することで一命は助けられた。ただし本領は安堵されず、日向國高鍋への移封を命じられた。
後世評價
一度は本拠を失いながらも毛利・島津という有力大名の後ろ盾を得て勢力を回復・擴大させた戰略眼は高く評價され、秋月氏が九州の有力國人として名を残す基盤を築いた人物とされる。