※画像はイメージです。江戸時代初期1590-1630
山田長政
Yamada Nagamasa
アユタヤ日本人町の頭領からシャム王国の高官へ——海を渡った江戸初期の傑物
解説
山田長政は天正18年(1590年)頃、駿河国(現在の静岡県)に生まれたとされる。若き日は沼津藩主に仕える駕籠かきであったと伝わるが、朱印船貿易が盛んになった時代の空気に触発されてか、シャム(現在のタイ)へ渡航した。当地のアユタヤには古くから日本人商人や傭兵が集住する「日本人町」が形成されており、長政はここに拠点を置いて頭角を現していく。
長政はアユタヤ王朝の内紛や外敵との戦いにおいて、日本人義勇兵の一団を率いて幾度も武功を挙げた。その働きぶりはソンタム王の厚い信任を得るところとなり、シャム宮廷における高位の官職の一つ「オークヤー・セーナピモック」の称号を授けられるまでに至った。日本人でありながら異国の王朝に深く食い込み、貿易の仲介や外交にも力を発揮するなど、江戸幕府とシャム王国との橋渡し役も担った。
しかし寛永7年(1630年)、ソンタム王の死後に勃発した王位継承争いに巻き込まれ、リゴール(現在のタイ南部ナコーンシータマラート)の長官として派遣された地で毒殺されたと伝わる。享年41。海外雄飛を遂げた江戸初期日本人の代表格として、鎖国体制が固まる直前の対外交流の一時代を象徴する人物である。アユタヤの日本人町跡は現在もタイの史跡として保存され、長政の事績を今に伝えている。