※画像はイメージです。戦国時代1528-1579
種子島時堯
Tanegashima Tokitaka
日本に初めて鉄砲をもたらした種子島の島主——南海の孤島から戦国の戦術を変えた知将
解説
種子島時堯は享禄元年(1528年)、大隅国種子島(現在の鹿児島県種子島)の領主・種子島恵時の子として生まれ、種子島氏第14代当主となった。天文12年(1543年)、種子島南端の門倉岬にポルトガル人を乗せた中国船(明船)が漂着するという事件が起こる。時堯はこのポルトガル人が携えていた火縄銃に強い関心を示し、当時としては破格の大金を投じてこれを2丁購入したと伝わる。
時堯はただちに家臣の刀鍛冶・八板金兵衛清定に鉄砲の国産化を命じた。ネジ構造の解明など幾多の試行錯誤の末、翌天文13年(1544年)には国内初となる鉄砲の量産に成功したとされる。この種子島製の鉄砲はやがて紀州根来や和泉堺など各地の鍛冶集団に伝わり、瞬く間に日本全国へ広まっていった。以後「種子島」は鉄砲そのものの異名としても用いられるようになる。
鉄砲という新兵器の存在は、後の長篠の戦いをはじめとする戦国期の合戦の様相を根底から変えることになった。刀剣を中心とした従来の戦闘様式に一大転機をもたらした人物として、時堯の名は日本の軍事史に特筆される。天正7年(1579年)、52歳で没した。南海の一小領主でありながら、その決断が日本の戦国時代の趨勢そのものに影響を及ぼした稀有な例として、今なお高く評価されている。