※画像はイメージです。江戸時代初期1583-1603
武田信吉
Takeda Nobuyoshi
家康の五男として武田家を再興した水戸25万石の若き当主
解説
出自と武田家再興
武田信吉(1583-1603)は、徳川家康の五男として天正11年(1583年)に遠江国浜松で生まれた。母は甲斐武田氏の旧臣・秋山虎泰の娘於都摩(下山殿)である。家康は名門武田家の名跡が絶えることを惜しみ、信吉に「武田」の姓を名乗らせた。これにより信吉は、天正10年(1582年)の武田勝頼滅亡でいったん途絶えた武田家を、形式上再興する立場となった。
所領の変遷
天正18年(1590年)、8歳で下総小金城主として3万石を与えられ、その後下総佐倉城に移り5万石を領した。慶長7年(1602年)11月、20歳のときに常陸水戸城へ封じられ、15万石(一説に25万石とも)の大名となった。若年ながら父・家康の子として重んじられ、要衝である水戸を任されたことは、家康が信吉に寄せた期待の大きさを示している。
早世と武田家再断絶
信吉は生来病弱であったと伝わり、水戸入封からわずか1年足らずの慶長8年(1603年)9月11日、21歳の若さで没した。嗣子がなかったため、家康によって再興された武田家の名跡は、信吉の死とともに再び絶えることとなった。
後世の評価
信吉の生涯は短く、政治的・軍事的な事績はほとんど残されていないが、家康が武田の旧臣団を懐柔し、武田遺領・遺臣を徳川体制に組み込む過程を象徴する存在として位置づけられる。信吉付きとされた家臣団の多くは、のちに水戸徳川家の家臣団の基盤の一部となったとも指摘される。