※画像はイメージです。戦国時代後期1549-1640
鬼庭綱元
Oniniwa Tsunamoto
伊達家の老将・奥州仕置における調停者
解説
鬼庭綱元(1549-1640)は、伊達家の重臣として伊達政宗の父・輝宗から政宗に至る二代にわたって仕えた老将であり、戦国から江戸初期にかけての伊達家の政治・軍事の両面で重要な役割を果たした。その名字が示すように「鬼の庭番」として恐れられた猛将であったが、同時に外交・行政においても卓越した手腕を発揮した。
綱元は伊達輝宗の信任を厚く得ており、伊達家の軍事・行政の中枢を担った。政宗の代になっても引き続き重用され、1590年の奥州仕置(豊臣秀吉による東北政策)に際しては政宗と豊臣政権との折衝において調停者的役割を果たした。この交渉において綱元の外交手腕が政宗を救い、伊達家の存続に貢献したとも伝えられる。
関ヶ原の戦い(1600年)では東軍側につき、上杉領への攻略に参加した。戦後は仙台藩の幕政参与として活躍し、政宗の腹心として藩政の安定に尽力した。九十歳を超える長命を保った綱元は、戦国武将としては異例の長寿を全うし、その経験と知識は江戸初期の伊達家運営に大きく貢献した。
刀剣との関わりでは、東北の地で刀工を庇護した伊達家の文化的風土の中で生きた綱元は、刀剣の鑑定・収集にも関与したと考えられる。伊達家が誇る名刀コレクションの管理にも携わったとされ、その名は奥州の刀剣文化史の一部を形成している。
所持した刀剣
- 伊達家伝来の太刀
- 奥州名刀(鬼庭家伝来)