※画像はイメージです。濃姫(帰蝶)
Nōhime (Kichō)
美濃の蝮・斎藤道三の娘にして織田信長の正室——史料に乏しく謎に包まれた戦国の女性
解説
道三の娘・信長の正室
濃姫(一五三五〜没年不詳)は、「美濃の蝮」と恐れられた戦国大名・斎藤道三の娘とされ、織田信長の正室として知られる。「濃姫」は美濃国出身の姫を指す通称で本名ではなく、実名は「帰蝶(きちょう)」あるいは「胡蝶」と伝わるが、これも確実な同時代史料に基づくものではない。後世の編纂物に断片的に登場するのみで、その実像は深い謎に包まれている。
政略結婚としての輿入れ
天文一八年(一五四九)頃、織田信秀と斎藤道三の和睦に伴い、濃姫は信長のもとへ嫁いだと伝わる。当時の信長は「うつけ者」と評され、両家の同盟を担保する政略結婚であった。輿入れの仲介には道三の重臣が関わったとされる。道三と信長が後に良好な関係を築いた背景には、この婚姻があったとも語られるが、これらの逸話の多くは後世の編纂史料に拠るものである。
没年も墓所も不明という謎
濃姫の生涯については、確実な記録が極めて乏しい。とりわけ没年・墓所については史料が一致せず、早世したとする説、本能寺の変まで生き延びたとする説など複数の見解が並立しており、定説をみない。信長の正室でありながら同時代の一次史料にその動静がほとんど残されていないこと自体が、戦国期の女性をめぐる記録の薄さを象徴している。
後世に語り継がれた帰蝶像
史料が乏しいがゆえに、濃姫=帰蝶は後世の創作や大河ドラマ等を通じて多彩なイメージを与えられてきた。聡明で気丈な女性、父・道三と夫・信長の間で揺れる存在など、描かれ方は時代ごとに変化する。確かな実像が掴めないからこそ、人々の想像力をかき立て続けてきた女性といえる。
刀剣との関わり
濃姫個人の佩刀を伝える確かな史料は確認できない。一般に戦国期の武家・大名家の女性は、嫁入りに際して護身の懐剣を携える慣習があった。父・斎藤道三は美濃の戦国大名、夫・織田信長は名刀の蒐集家として知られる人物であり、その双方に連なる立場にあった濃姫もまた、武家の女性として刀剣文化に身近に接する環境にあったと考えられるが、具体的な所持刀を断定することはできない。
所持した刀剣
- 武家女性の懐剣(短刀)——濃姫個人の所持刀を伝える確かな史料は確認できないが、戦国期の大名家の女性は嫁入りに際して護身の懐剣を携える慣習があった。名刀蒐集家の信長を夫とした立場から、刀剣文化に近しい環境にあったと考えられる