※画像はイメージです。仁科盛信
Nishina Moritoki
高遠城に散った武田の猛将・武田信玄の五男
解説
仁科盛信(1557-1582)は、武田信玄の五男として生まれ、信州(信濃国)仁科氏を継いだ武将である。天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康の大軍による武田征伐において、高遠城(現在の長野県伊那市)に籠城して壮絶な最期を遂げたことで知られる。その孤高の戦いぶりは武田武士道の象徴として後世に語り継がれている。
盛信は武田信玄の五男として生まれ、信濃国安曇郡(現在の長野県大町市付近)を本拠とする仁科氏の養子となった。仁科氏は信玄の信濃経営において重要な役割を担う一族であり、盛信はその当主として信州北部の支配を担った。兄・武田勝頼のもとで武田家の将として各地の戦いに従軍し、その武勇は父・信玄の血を受け継ぐ猛将として高く評価された。
天正10年(1582年)2月、織田信長が武田征伐の大軍を発した。武田方の諸城が次々と落ちていく中、盛信は高遠城に籠城して徹底抗戦を選んだ。高遠城には3,000人ほどの守備兵しかおらず、攻め寄せる織田・徳川の大軍は数万に及んだ。3月2日の攻城戦で高遠城は落城し、盛信は城内で自刃して果てた。享年25歳の若さであった。盛信の戦いは武田家の武士道精神の体現として、後の世に「高遠城の戦い」として語り継がれている。
日本刀との関わりにおいて、盛信は武田家の刀剣伝統を受け継ぐ武将であった。父・信玄から受け継いだ業物を携えて高遠城に籠城したと伝わり、城落城の際には刀を持ったまま自刃したとされる。高遠城には武田家伝来の刀剣が多数収められており、攻城時に一部が織田軍の手に渡ったとも伝わる。盛信が愛用した刀は「高遠の形見」として信州の刀剣文化史に名を残しており、伊那谷(高遠を含む地域)の博物館に関連遺物が保存されている。
所持した刀剣
- 武田家伝来・高遠城に持ち込まれた業物
- 信玄五男の形見刀・伊那谷に伝わる高遠の刀