※画像はイメージです。那須与一
Nasu no Yoichi
屋島の扇の的を射抜いた弓の名手
解説
那須与一(生没年不詳、1169年頃-1232年頃)は、平安時代末期の武将であり、源義経に仕えた弓の名手として「屋島の戦い」(1185年)における「扇の的」の故事で広く知られる。その名は「与一」(与市)と伝えられ、下野国(現在の栃木県)那須郡の地侍・那須資隆の息子とされている。
那須与一の名を不朽のものとしたのは、屋島の戦いにおける一幕である。平氏方の船が沖に進み出て、竿の先に結びつけた扇を的として射ることを要求してきた際、源義経は与一に命じてこれを射させた。与一は波に揺れる船上の扇に向かって馬を進め、神仏に祈りを捧げた後、「かぶら矢」を放った。矢は扇の柄の近くに命中し、扇は空中高く舞い上がった後、海面に落ちた。この見事な一射に、源平両軍ともに喝采を送ったと伝えられている。
この「扇の的」の逸話は『平家物語』に詳しく描かれており、日本文学における弓術の名場面として後世に語り継がれてきた。また那須与一の名は「一難去ってまた一難」「困難に立ち向かう勇気」の象徴として、武士の精神的な規範にもなっている。
日本刀との関わりにおいて、与一は弓手としての名声が高いが、中世の武士として当然刀剣も帯びていた。那須与一が使用したとされる弓・矢・刀剣類は、地元・栃木県那須地方の神社仏閣に伝承として残されている。那須与一伝承館(栃木県大田原市)には、与一にまつわる遺品・伝来品が保管・展示されており、地元那須地方の英雄として現在も深く崇敬されている。
源平合戦における弓術の極意として語り継がれる「扇の的」の故事は、日本の武芸全般における「一射必中」の精神の象徴でもある。刀剣と同様に、弓矢は武士の魂を体現する武器であり、那須与一の名はその最高の体現者として今日も生き続けている。
所持した刀剣
- 那須与一の佩刀(平安末期の太刀)
- 那須家伝来の下野鍛冶の刀剣