※画像はイメージです。長尾景春
Nagao Kageharu
山内上杉氏に反旗を翻し、太田道灌と戦った関東長期反乱の首謀者
解説
長尾景春(ながお かげはる)は、山内上杉氏の家臣である白井長尾氏の出身で、長尾景信の子である。嘉吉3年(1443年)に生まれ、永正11年(1514年)8月24日に没したとされる。享年72は「双林寺伝記」による。
長尾景春の乱
文明7年(1475年)に武蔵国の鉢形城にこもり、翌文明8年(1476年)6月に挙兵した。五十子陣で上杉顕定の軍を破り、文明9年(1477年)1月の五十子の戦いでも顕定軍を破って上野国へ退かせた。豊島泰経や千葉孝胤らと結び、戦線は相模から下総にまで広がった。
太田道灌との戦い
扇谷上杉氏の家宰・太田道灌が武蔵に攻め込むと、景春は各地で敗れて勢いを失った。足利成氏の支援を受けて抗戦したが、文明10年(1478年)に道灌の策略で上杉氏と成氏が和議を結ぶと後ろ盾を失った。鉢形城が落ち、秩父の山地へ逃れたが、文明12年(1480年)6月に最後の拠点・日野城も落とされ、武蔵を追われた。
後半生
成氏のもとに身を寄せ、左衛門尉の官途を与えられて奏者を務めた。道灌の死後は上杉定正の援軍として須賀谷原・高見原の戦いで活躍し、この頃に出家して「其有斎伊玄」と号した。明応3年(1494年)には、和睦に傾く嫡男・景英と対立して当主の座を失った。永正2年(1505年)に顕定に降伏し、永正7年(1510年)には顕定が越後へ出兵した隙に再び挙兵したが、白井城の奪還には失敗した。その後は甲斐の都留郡、さらに駿河の今川氏のもとで亡命生活を送り、客死したとみられている。
後世評価
数十年にわたる反乱は関東における上杉氏の勢力を大きく衰えさせたとされる。北条早雲は景春を武略・知略に優れた勇士と評したと伝わる。伊東潤の小説『叛鬼』(2012年)の題材にもなっている。