※画像はイメージです。戦国時代1551-1573
三好義継
Miyoshi Yoshitsugu
三好宗家当主・河内若江城主
解説
生涯
天文20年(1551年)、三好長慶の弟・十河一存の子として生まれた。永禄6年(1563年)、長慶の世子・義興が早世すると長慶の養子となり三好姓を継いだ。永禄7年(1564年)に長慶が没すると、三好三人衆の後見のもとで三好宗家の家督を継ぎ、河内国飯盛城主となった。
主要戦歴
永禄8年(1565年)、三好三人衆・松永久秀らと共に将軍足利義輝を襲撃した永禄の変に関与したとされる。永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、松永久秀と共に降伏し、河内北半国と若江城を安堵された。
没落と最期
追放された将軍足利義昭を若江城に匿ったことで信長の怒りを買い、天正元年(1573年)11月、佐久間信盛率いる織田軍の攻撃を受けた。重臣らの離反もあって若江城は落城し、妻子と共に自害。これにより戦国大名としての三好宗家は事実上滅亡した。
後世評価
三好長慶が築いた畿内の覇権が織田政権に取って代わられる過程を体現した人物として、戦国末期の畿内政治史における転換点の当事者に位置づけられている。