※画像はイメージです。伊達輝宗
Date Terumune
伊達氏第16代当主・独眼竜政宗の父
解説
伊達輝宗(1544-1585)は、戦国時代の武将であり、伊達氏第16代当主として奥羽の雄・伊達家の礎を固めた人物である。後に「独眼竜」として名を馳せる伊達政宗の父として知られ、奥州における伊達氏の覇権確立に大きく貢献した武将である。
輝宗は伊達晴宗の嫡男として生まれ、1565年に家督を継いだ。父・晴宗の晩年には内紛が絶えなかった伊達家において、輝宗は家中の統制を取り戻すことに腐心した。外交面では南奥州の諸豪族との婚姻・同盟政策を積極的に推進し、特に二本松氏・蘆名氏・最上氏との複雑な勢力均衡の中で伊達家の地盤固めに取り組んだ。
輝宗の最大の業績は、後継者・政宗の育成にある。政宗が小疱瘡により右目を失ったとき、輝宗は慈愛をもって息子の成長を見守り、剛毅な武将として成長させた。政宗の師・虎哉宗乙を招くなど、文武両道の教育環境を整えたことは輝宗の先見性を示している。また「伊達者(だてもの)」として知られる華美な文化風俗の基礎も、輝宗の時代から形成され始めたと言われる。
日本刀との関わりにおいて、輝宗は奥州における刀剣文化の守護者でもあった。陸奥国には古来から独自の刀鍛冶の伝統があり、輝宗はその保護・育成に尽力した。伊達家に伝来する刀剣類は武家の権威の象徴であり、輝宗が収集・保管した名刀は後に政宗へと受け継がれた。また同盟諸将との間で刀剣を贈答する慣習を通じて、刀剣が外交の道具としても機能していた。
1585年、二本松義継との交渉の場で人質として連行され、急を知った政宗が救出に向かう途中、輝宗は政宗に自分ごと義継を討てと命じたという壮烈な逸話が残る。政宗の命により鉄砲が放たれ、輝宗は義継とともに命を落とした。享年42歳。その死は政宗の奥州制覇への強い意志を引き出す契機ともなり、伊達家の歴史における転換点として後世に語り継がれている。
所持した刀剣
- 伊達家伝来の奥州鍛冶による名刀
- 同盟諸将との間で交わされた贈答刀