伊達晴宗
Date Harumune
父・稙宗との6年におよぶ内乱「天文の乱」を制し、伊達家の本拠を米沢へ移した戦国大名
解説
伊達晴宗(だて はるむね、永正16年〈1519年〉-天正5年〈1578年〉)は、戦国時代の陸奥国の大名。伊達氏第14代当主・稙宗の長男で、父との内乱「天文の乱」を制して第15代当主となり、伊達政宗の祖父にあたる。
出自と父との対立
晴宗の母は蘆名盛高の娘・泰心院。天文11年(1542年)、父・稙宗が実子(晴宗の弟)を越後守護・上杉定実の養子として送り込もうとしたことに晴宗が強く反発し、重臣らと共謀して稙宗を西山城に幽閉する挙に出た。
天文の乱
稙宗が救出されると、周辺の南奥州諸大名を巻き込んだ大規模な内乱「天文の乱」が勃発した。当初は稙宗方が優勢であったが、天文16年(1547年)に蘆名盛氏が晴宗方に転じたことで戦況は逆転する。6年にわたり南奥州全域を巻き込んだこの内乱は、天文17年(1548年)、室町幕府13代将軍・足利義輝の停戦命令を受けて和睦が成立し、晴宗が伊達家第15代当主の座を確定させた。
米沢への本拠移転と家臣団の再編
家督掌握後、晴宗は本拠を桑折西山城から米沢城へ移した。天文22年(1553年)には『晴宗公采地下賜録』を作成し、内乱で濫発された安堵状を整理して家臣団の所領と家格を確定させ、伊達領国の統治体制を立て直した。天文24年(1555年)には室町幕府から奥州探題職に補任され、名実ともに南奥州の有力大名としての地位を固めている。
子女と後継
正室・久保姫(岩城重隆の娘)との間に6男5女をもうけ、次男・輝宗が家督を継いだ。輝宗の子が伊達政宗であり、晴宗は政宗の祖父にあたる。
後世の評価
江戸時代に編纂された伊達家の史書では、父を幽閉した経緯もあって晴宗は否定的に描かれ「暗君」と評されることが多かった。しかし近年の研究では、天文の乱後の家臣団再編や米沢移転が、孫・政宗の代に至る伊達領国の軍事・統治基盤を準備した重要な画期として再評価されている。