※画像はイメージです。馬場信春
Baba Nobuharu
武田三代に仕え「不死身の鬼美濃」と謳われた老将——長篠に散った武田四天王の一人
解説
馬場信春(旧名は教来石景政、馬場氏を継いで信房、のち信春と改名)は永正11年(1514年)頃、甲斐国に生まれたとされる武田氏の重臣である。武田信虎・信玄・勝頼と武田家三代にわたって仕え、数多くの合戦に参陣しながら一度も傷を負わなかったという逸話から、現代では「不死身の鬼美濃」とも呼ばれる。武田信玄の絶大な信頼を受け、武田家中でも重きをなす譜代の宿老として、内藤昌豊・山県昌景・高坂昌信らとともに「武田四天王」の一人に数えられている。
信春は川中島の戦いをはじめとする信玄期の主要な合戦の多くに参陣し、築城術にも優れ、深志城・牧之島城・江尻城など各地の武田方の支城を築いたとされる。武将としての武勇のみならず、築城の技量も兼ね備えた将であった。信玄没後は若き当主・武田勝頼を補佐する老臣として、その苦しい家中運営を支え続けた。
天正3年(1575年)、長篠の戦いにおいて織田・徳川連合軍の鉄砲隊を相手に武田軍は壊滅的な敗北を喫した。信春は敗走する勝頼を逃がすため、自ら殿(しんがり)を務めて内藤昌豊とともに敵軍の追撃を食い止め、壮絶な討死を遂げたと伝わる。享年62。長篠まで傷一つ負わなかった老将の最期となった忠義の戦いぶりは、後世の軍記物においても武田武士の理想像として語り継がれている。