※画像はイメージです。足利義満
Ashikaga Yoshimitsu
室町幕府第3代将軍・金閣寺建立・日明貿易の開祖
解説
足利義満(1358-1408)は室町幕府第3代将軍にして、日本の中世において最も強大な権力を握った武家の頂点に立つ人物である。1392年に南北朝の合一を成し遂げて約60年に及ぶ朝廷の分裂に終止符を打ち、金閣寺(鹿苑寺)の建立、日明貿易の開始など、政治・外交・文化の各分野で傑出した業績を残した。
義満は1368年に10歳で家督を相続し、翌1369年に11歳で征夷大将軍の宣下を受けて3代将軍に就任した。幼少期は管領・細川頼之の後見のもとに置かれたが、成人後は強力な権力を自ら掌握し、守護大名の統制に乗り出した。山名氏清・大内義弘といった有力守護を討伐して守護大名の権力を削ぎ、将軍権威を室町幕府史上最高水準まで高めた。
文化面では、義満は北山文化の旗手として名を馳せた。洛北の北山に建てた北山殿(後の鹿苑寺、通称・金閣寺)は、武家文化と公家文化・禅宗文化が融合した室町文化の象徴である。義満は能楽の保護者として観阿弥・世阿弥父子を庇護し、現代に続く能楽の基礎を確立させた功績も持つ。
外交面では、義満は1401年に明への朝貢を行い「日本国王」の称号を受けた。この日明貿易は勘合貿易とも呼ばれ、明との公式貿易を通じて大量の銅銭・陶磁器・生糸などが輸入される一方、日本からは刀剣・漆器・折扇などが輸出された。特に日本刀は明において高い評価を受け、「日本刀」として中国の文人・武人に珍重されたことは、この時代から始まる日本刀の国際的名声の出発点となった。
刀剣に関する義満の功績は複層的である。日明貿易において刀剣は最重要輸出品の一つとなり、大量生産された「貿易刀」が明へと渡った。同時に義満の庇護のもとで足利将軍家に伝わる名刀群の整備が進み、刀剣鑑定の文化が武家社会に定着していった。義満自身も刀剣の目利きとして優れた見識を持ち、後世に「義満御物」として記録される名刀群の蒐集に努めたとされる。
義満は1394年に将軍職を嫡男・義持に譲って出家したが、実権は最晩年まで握り続けた。1408年に没した際、朝廷から「太上天皇」に准じる尊号が贈られようとしたが、義持がこれを辞退したという逸話は、義満が武家として最高位を超えて皇族に準じる権威を獲得していたことを示している。室町文化の黄金期を創出した足利義満の遺産は、金閣寺の輝きとともに今日も日本文化の核心をなしている。
所持した刀剣
- 義満御物の名刀群
- 足利将軍家伝来の太刀