※画像はイメージです。戦国時代1539-1587
安東愛季
Ando Chikasue
分裂した安東氏を統一し「北天の斗星」と評された出羽の戦国大名
解説
安東愛季は出羽国北部(現在の秋田県北部)の戦国大名で、檜山系安東氏の8代当主である。天文8年(1539年)に安東舜季の子として生まれ、天正15年(1587年)に没した。
家督相続と安東氏の統一
天文22年(1553年)に家督を継ぎ、檜山城を拠点とした。当時の安東氏は檜山系と湊系に分かれていたが、元亀元年(1570年)の「湊騒動」で豊島氏・大宝寺氏に勝利して由利郡を勢力下に置き、婚姻や養子縁組を通じて湊系を事実上吸収し、分裂していた一族を統一した。のちに居城を檜山城から脇本城へ移している。
領国拡大と戦い
永禄7年(1564年)から永禄12年(1569年)にかけて南部領の鹿角郡獲得を目指したが、南部晴政に阻まれた。天正10年(1582年)には浅利勝頼を謀殺して比内地方を統一した。
中央との外交
天正元年(1573年)から天正10年(1582年)まで織田信長に毎年貢物を献上し、信長の死後は豊臣秀吉とも誼を通じた。天正5年(1577年)に従五位下、天正8年(1580年)に従五位上・侍従に昇った。
最期と評価
天正15年(1587年)、角館城主・戸沢盛安との唐松野の戦いの陣中で病没した。その優れた手腕から、北天にある北斗七星になぞらえて「北天の斗星」と評された。なお、没後の湊合戦は一次史料に乏しく、詳細には不明な点が多い。
刀剣との関わり
確認できた典拠に愛季の刀剣に関する記述はなく、特定の刀剣は記さない。