※画像はイメージです。edo1621–1638
天草四郎
Amakusa Shiro
島原の乱の指導者
解説
天草四郎(あまくさしろう、元和7年〈1621年〉頃〜寛永15年2月28日〈1638年4月12日〉)は、江戸時代初期のキリシタン農民一揆「島原の乱」における指導者。本名は益田四郎時貞(ますだしろうときさだ)。父は小西行長の旧臣・益田好次とされる。
生涯と乱の背景
天草・島原地方は小西行長・有馬晴信の旧領であり、キリシタンの信仰が広まっていた。徳川幕府のキリシタン禁圧と重税が重なり、寛永14年(1637年)10月、島原の農民・キリシタンが蜂起した。16歳前後の少年であった四郎は、カリスマ的な存在として神童視され、「天から遣わされた救世主」として総大将に担ぎ上げられた。
原城籠城
一揆軍は島原半島南端の廃城・原城(現長崎県南島原市)に立てこもり、幕府軍と対峙した。籠城衆は最終的に約3万7000人に達し、幕府は老中・松平信綱を総大将とする12万余の軍勢を投入した。オランダ船を使った砲撃支援も行われたが、原城は約3ヶ月にわたり持ちこたえた。
最期と意義
寛永15年(1638年)2月28日、兵糧が尽きた原城は総攻撃を受けて陥落し、四郎を含む籠城衆はほぼ全滅した。四郎の首は長崎に晒されたと伝わる。この乱を機に、幕府はポルトガルとの国交を断絶し、鎖国体制を完成させた。天草四郎はその後、キリシタン信仰と農民解放のシンボルとして語り継がれ、現代でも地域の象徴的存在となっている。