※画像はイメージです。尼子経久
Amako Tsunehisa
出雲の覇者・謀略で山陰山陽を制した梟雄
解説
尼子経久(1458-1541)は、出雲国(現・島根県)を拠点とした戦国大名であり、謀略と政治力によって山陰山陽8カ国を支配した「西国三傑」の一人とも称される梟雄である。84歳の長寿を全うしながら、その生涯のほとんどを戦場で過ごした。
経久は1458年、出雲国守護代・尼子清定の子として生まれた。文明十六年(一四八四年)に守護代職を追われたものの、文明十八年(一四八六年)には月山富田城を奪還するという電撃的な反撃を見せた。この奪還劇は、経久の類まれなる謀略の才を世に示す最初の証明となった。
その後、経久は着実に勢力を拡大し、中国地方の有力諸氏を服従させていった。大内氏・毛利氏と覇を争いながら、最盛期には出雲・伯耆・石見・隠岐・因幡・備前・美作の七カ国に及ぶ広大な勢力圏を築いた。「謀聖」とも呼ばれた経久の政治手腕は、あの毛利元就をして「学ぶべき師」と言わしめたほどであった。
刀剣との関わりでは、経久は出雲の刀工を積極的に保護・奨励した。出雲国は古来より製鉄(たたら製鉄)が盛んであり、良質な砂鉄を産する地として日本刀の素材・玉鋼の産地でもあった。経久は地元の刀工集団を支援し、尼子家の軍事力の礎となる優秀な武器供給体制を整えた。彼が愛用した太刀は「雲州物」の中でも特に優れた作品と伝えられている。
晩年まで精力的に活動し続けた経久は1541年、84歳でその生涯を閉じた。孫・尼子晴久へと家督を譲った後も軍事・政治に関与し続けた姿は、戦国の梟雄の真骨頂を示すものであった。
所持した刀剣
- 尼子経久愛刀(雲州物)
- 月山富田城伝来の名刀