※画像はイメージです。山城伝・相州伝新刀上作
初代信国吉政
Nobukuni Yoshimasa I
解説
初代信国吉政の素性と筑前移住
初代信国吉政(しょだいのぶくによしまさ)は、筑前信国派の祖・信国吉貞(のぶくによしさだ)の長男で、慶長7年(1602年)、父とともに豊前から筑前(現在の福岡県)へ移住した刀工である。父吉貞のもとで修業し、承応2年(1653年)に没した。
黒田長政(くろだながまさ)の命を受けて備前(岡山)へ赴き、一文字助宗(すけむね)に学んだと伝わる。備前で別伝を受けたため、信国家の本流は次男の吉次(よしつぐ)の系統が継ぎ、吉政は別家を立てた。この備前修業が吉政の作風を大きく形成したとされる。
作風と代表作
吉政の作刀は、山城信国派の伝統的な技法を基盤としながら、備前修業の影響を色濃く反映した個性的なものである。刃文は金筋が頻りに交じる互の目乱れ(ぐのめみだれ)または丁子乱れが多く、沸が盛んについて刃縁が賑やかな印象を与える。地鉄は板目に流れ肌が交じり、黒みのある地が充実した備前風の地肌を示す。
在銘作には「筑前國住源信国平四郎吉政作」と切った寛永十六年(1639年)紀の刀などが知られ、薙刀の名手とも伝わる。
二代吉政と筑前信国の展開
吉政の名を継いだ二代信国吉政(元和8年〈1622年〉〜貞享5年〈1688年〉)は、寛文〜延宝年間(1661〜1681年)を中心に作刀し、貞享2年(1685年)までの作が残る。
筑前信国派は吉貞を祖とし、その子の吉政・吉次・吉助の三家に分かれて、江戸時代を通じて福岡藩の刀工の主流となった。
代表作
- 刀「筑前國住源信国平四郎吉政作」(寛永十六年紀)