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武将 ・ 初級
戦国〜江戸時代の武将と刀剣・槍の関わりを問う全10問。蜻蛉切・日本号・へし切長谷部・山鳥毛・雷切など名刀・名槍と武将の逸話を中心に、実在の史料・文化財情報に基づいた問題です。
蜻蛉切は徳川四天王のひとり・本多忠勝(1548–1610)の愛槍。穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになったとの逸話から号が付いた。作者は藤原正真で、日本号・御手杵とともに天下三名槍に数えられる(刀剣ワールド「蜻蛉切」・Wikipedia 参照)。忠勝は生涯57回の合戦で一度も傷を負わなかったと伝わる。
母里太兵衛(友信)は黒田長政の家臣。福島正則のもとへ使者として訪れた際、大杯の酒を一気に飲み干して日本号を呑み取った逸話が有名で、後に民謡「黒田節」の題材となった。日本号は現在福岡市博物館が所蔵する(Wikipedia「日本号」・福岡市博物館公式参照)。
へし切長谷部は織田信長が棚ごと茶坊主を「圧し切り」にした逸話で「へし切」の号が付いた打刀(長谷部国重作)。信長の功績への褒賞として黒田官兵衛(孝高)に下賜され、黒田家に代々伝来。現在は福岡市博物館の所蔵(国宝)(文化遺産オンライン・Yahoo!ニュース渡邊大門記事参照)。
大典太光世は天下五剣のひとつ(国宝)で、平安時代末期の刀工・典太光世の作。秀吉が四女・豪(ごう)の病に際してこの刀を前田利家に貸し与えたところ病が快癒し、秀吉が利家に与えたと『享保名物帳』に記録されている。現在は公益財団法人前田育徳会が所蔵し石川県立美術館に寄託(文化遺産オンライン・石川県立美術館参照)。
山鳥毛は福岡一文字派が鍛えた国宝の太刀で、上杉謙信の愛刀として知られる。もとは上杉憲政が謙信に贈ったと伝わり、山鳥の尾羽を思わせる重花丁子乱れの刃文が特徴。2021年のクラウドファンディングで岡山県瀬戸内市(旧備前地域)が取得し、地元に里帰りした(瀬戸内市公式・刀剣ワールド「山鳥毛」参照)。
歌仙兼定は美濃国の名工・二代兼定(之定)の作で、細川忠興の愛刀。「三十六人の家臣を手討ちにした逸話から三十六歌仙にちなんで名付けられた」と伝えられている(ただし刀剣研究者・福永酔剣は細川家の史料に記述がないと指摘しており、伝説の域を出ない)。現在は永青文庫(東京・文京区)が所蔵(Wikipedia「歌仙兼定」・和樂web参照)。
ソハヤノツルキは平安時代の直刀で、三池光世作と伝わる守護刀。家康は「没後は久能山に遺体を納め、ソハヤノツルキを西向きに据えよ」と遺命した。西向きとは豊臣家の残存勢力がいた西国への睨みとされる。現在も久能山東照宮の宝物館に所蔵されている(久能山東照宮公式・刀剣ワールド参照)。
立花道雪(1513–1585)は大友宗麟の重臣で「鬼道雪」の異名を持つ名将。木陰で昼寝中に落雷に遭った際、愛刀「千鳥」を抜いて雷を斬り払ったと伝わり、以来この刀を「雷切」と改称した。落雷で左足が不自由となったが、輿に乗って指揮を執り続けた(刀剣ワールド・Wikipedia「雷切」参照)。
真田幸村(信繁)は大坂夏の陣で赤備えの部隊を率いて徳川家康の本陣に突撃し、家康を自刃寸前まで追い詰めたと伝わる。島津家の記録『薩藩旧記雑録』に「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由」と記され、後世に「日本一の兵」の異名が定着した(戦国ヒストリー・和歌山県公式参照)。
伊達政宗(1567–1636)は幼少期に罹患した疱瘡(天然痘)により右目の視力を失い、生涯にわたって隻眼であった。「独眼竜」の異名は、江戸時代後期に頼山陽が漢詩で政宗を詠んだことに由来し、政宗の生前から広く使われていた呼称ではないとされる。なお、眼帯をつけた姿は近代以降の創作である(Wikipedia「伊達政宗」・Japaaan 記事参照)。